北海道は美味しいものはあるし夜景もきれいだし馬もいるよ

函館の夜景

函館と言えばやはり夜景ですよね

 

この旅行は10年前に行ったときの話です。

 

ということで、夜景を見にきました。

夜景の前の夕焼けが綺麗です。

ここから暗くなるまでが

なんだが長かったー。

この写真撮るまでに何時間待ったんだろう?

2時間はいたのかな?

その力作です。夫が撮りましたけど。

きれいに撮れていますね。

この地形が夜景を更に美しく見せているそうです。(うろ覚え)

 

修学旅行以来ですから

何年前だろう・・・いや何十年前か。

 

一般的な感覚でなくてごめんなさい

 

しかし、人気スポットだけあって

人がすごかった。

人混み嫌いなんで

もう、それだけで見る気が失せています。

 

しかも、すみません。

夜景にあまり興味がないんです。

綺麗ですよ。確かに。

でも、人口の光じゃないですか。

 

自然の夕日とか星とかのほうが

綺麗じゃないですか。

って考えてしまうんです。

 

人混みをかき分けて

一生懸命場所取りをしてくれて

「ここから見えるよ」

と言ってくれている夫に対して

「もういいよ。見た」

と返事をしてしまったのは

10年近くたった今でも

反省しております。

 

この、夫の見せてあげようという努力を

踏みにじる行為ね。

いけませんね。

 

しかし、ですよ

一言だけ言いたい。

私、夜景が好きって言ったことないけど。

なんで夜景好きでしょ?っていうスタンスでいるの?

 

スープカレーを待っている間に時計台

 

まあ、こんな人はあまりいないだろうから

皆様は夜景を楽しんでください。

 

ということで、次の日は

スープカレーを食べに行ったのですが

そこのお店が人気で30分ほど待つとのこと。

順番が来れば携帯に連絡してくれる

ということでしたので

その間に、近くの時計台を見に行きました。

 

良く覚えてないので説明はウィキペディアにお任せです

 

三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物であり、時計台としては日本最古である

Wikipedia

中に模型があります。

結構広いんですよ。

バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)である

Wikipedia

だそうで、これがバルーンフレーム構造か?

 

この時計は、重りの力を利用した振り子式で、

4日に一度は運用針と打鐘用の2つの重りを吊るしたワイヤーを、

ハンドルを使い人力で巻き上げねばならないが、

豊平川の小石を詰めた木箱の重りの重さはそれぞれ50kgと150kgにもなる上[3]

機械に負担が掛からないよう2時間ほど掛けてゆっくりと巻き上げる必要があり、かなりの労力を要する

Wikipedia

かなり大変だったんですね。

 

そんな時計台を見学していれば

あっという間の30分で

美味しいスープカレーを頂きました。

 

奥芝商店というスープカレー屋さんです。

エビのスープが美味しかった。

 

牧場に行きます

 

そんなスープカレーを堪能したあとは

私希望の牧場にまいります。

どこの牧場か忘れてしまったのですが

引退した競走馬が見られるところらしく

希望してみました。

 

特に競走馬に興味があるわけではありません。

夫のほうがよっぽどあります。

 

ただ、いつも旅行の予定は夫が立て

ただそれについて行くっていうのが嫌で

だったら、一つぐらい自分の行きたいところを希望しようと

思っただけなんです。

 

なのにまさかの

時間が遅くて見学が終了しているという事態。

 

そんなに見るのを楽しみにしていたわけではありませんが

自分が希望したところを

後回しのようにされて

結局見学できないというのは

結構、メンタルにきましたね。

 

もちろん怒りましたけど

夫はなにが悪いの?ぐらいの態度ですし

しょうがないじゃんという感じ。

 

夫からしたら自分の予定のほうが重要度高いですからね。

 

なので、私はこの旅行から

行きたいところを探したりするのをやめました。

だって、無駄なんですから。

しかも、イライラするというおまけがついてきます。

 

だったら、行ったところで楽しめばいい。

夫のプランをただ楽しめばいい

という考え方に変えました。

 

で、行きたいところがあれば

一人で行けばいいんです。

 

そうすれば、なんのストレスもなく

自由にできます。

無理して2人で行こうとするからいけないんです。

 

馬は見れましたよ

 

そんな見学時間すら過ぎて

閑散としている牧場を後にして

車でふらふらと近場を走ります。

 

馬が見えたんで

ちょっと車を止めて見学です。

遠くに馬が見えます。

 

草食べとる。

 

そんな感じで馬を堪能して帰ってきました。

 

私の体力は限界です

 

そんなイライラと

移動の疲れが出たのか

その日の夜に私はダウン。

夫は「ご飯行こうよ」

と言いますが無理。

一人で行ってもらいました。

 

このことは後々何年も言われることになります。

あの時私が寝ているから一人でご飯食べに行くことになったと。

 

そんで、頑張って一人で食べに行った夫は

B’zのPVで使われたラーメン屋さんで食べたんだそうです。

 

体が弱いよねとか

すぐ疲れるよね

と言われますが

そりゃ、自分の思いのまま

自分の気分のままに動いている人と

それに付き合っている人とでは

疲れ方が違うでしょうに。

 

なのに、俺の旅行は外れないでしょ。

と自慢げに言うあなたの思考回路に

疑いを持つのは私だけでしょうか。

 

この北海道旅行はまだ序盤です

 

この旅行は本当にイライラしましたし

体力的にも無理が多い旅でした。

だからか、この時の気持ちは良く覚えているんです。

 

行ったときは夏なので

それも体力を奪われる原因でもあったかもしれません。

しかも途中でお月のもの来てしまったので

ホルモン的にも不安定だったんでしょう。

 

 

ということで、この後は

登別地獄谷に行きます。

 

あの漫画で有名な五稜郭に来たよ

五稜郭 3城目

 

北海道は本当にでっかいどうでした

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

やってきました。五稜郭。

漫画でも舞台になっていましたので

知っている方も多いのではないでしょうか。

 

北海道は大きくて

この時は車で青森まで行って

フェリーで北海道に行った時だったと思います。

 

移動が長くてお尻が痛かった。

そんな記憶があります。

 

相変わらず、予約というものをしない夫のおかげで

フェリー乗り場でも2時間待ちました。

 

私がチケット取ればいいと思うでしょ?

取りたいのはやまやまですが

詳しい予定を教えてくれないので

どこのフェリー乗り場から乗るのも知りませんでした。

まあ、その前に、出かける時間も決まっていなので

どうしようもないのですが。

 

そんな、記憶の北海道。

いろいろハプニングがあったことだけ

覚えております。

 

五稜郭は五稜郭タワーから

 

そんな移動だけでぐったりだった状況から

五稜郭に着きました。

五稜郭はまずは五稜郭タワーから

見るのが一番です。

はい。星形。

これは江戸時代にヨーロッパで考案されたものを採用しているそうです。

これが五稜郭の模型です。

 

江戸軍学と五稜郭

 

城のつくり方図典という本がありまして

そこのコラムに江戸軍学について書いてあります。

実戦経験のない学者が机上で考えたものなので、実践に役立つとは思えない代物であったが、何しろ泰平の世であったので実害はなく、大名や武士の教養として講義されていたのである。

城のつくり方図典

と書かれており、さらに近世城郭について

全国の近世城郭が実践に供されたことが珍しい中にあって、この二城(福山城と五稜郭)は明治維新の中で落城しており、机上軍学の無益性をしめすこととなった。

城のつくり方図典

と書いてあるんですよね。

この切れ味、好きです。

 

この本、アマゾンではもう中古しか扱っていなようです。

結構、良い本だと思うんですが。

マニアックすぎるんですかね?

 

五稜郭を歩いてみよう

 

ということで、上から見た後は

実際に歩いてみますよ。

これが半月堡でしょうか。

 

先ほどいた五稜郭タワーです。

 

橋を渡って行きましょう。

 

堀の形も独特ですね。

 

3か所だけが石垣となっているそうです。

しかも、正面入り口の石垣は他の石垣よりも

高く築かれているそうです。

ここが一番高い石垣ですかね。

 

ちゃんと建物もありますよ

 

そして、中に入って行くと

建物があります。

これは函館奉行所だそうです。

こちら、復元は3分の1だけだそうで

残りは図面で表しています。

一部だけでも建物があると

雰囲気がわかりますからね。

 

こちらが、仮牢跡と公事人腰掛跡と板蔵だそうです。

で、この建物は公事人腰掛跡ですかね。

 

そして、反対側から見た箱根奉行所です。

 

復元した板庫と土蔵です。

今は事務所と休憩所になっています。

 

これが唯一現存している土蔵かな。

 

大砲もありました。

 

ということで、まわりました。

五稜郭はそんなに見るとこないから早いです。

一番の見どころは五稜郭タワーから眺める五稜郭でしょうか。

形が良くわかりますからね。

 

そして、その後は函館といえば

あの有名な夜景見に行きます。

次回は夜景からです。

 

福島県にあるよ二本松城

二本松城 2城目

 

二本松城ってあの戊辰戦争の?ってわかった方は上級者です

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

ということでやってきました

二本松城

私の中では「どこ?」なのですが

「ほら、あの戊辰戦争の!」

って言われましても、まったくピンときません。

 

歴史はグーグル先生に聞くとして

2城目にしてもう山城

しかも石垣しかない

という、姫路城との落差を感じえません。

 

まあ、国宝と比べてはいけません。

ここには歴史的に重要なことが起こっているのですから

そこを注目していきましょう。

って、私が一番苦手な分野ですが。

 

テンションが上がらないのはしょうがないと思ってください

 

二本松城は別名、霧ヶ城とか霞ヶ城と言われています

ということで回って行きましょう。

 

二本松城といえば少年隊だそうで

銅像もあります。

切ない話です。

 

こちらは私のような者でもわかるように

ちゃんと二本松城跡と書かれています。

こっちのほうが新しそう・・・

 

ということで、門をくぐって行きます。

ここは結構りっぱです。

 

二本松城の歴史

 

室町中期に築城されたそうで

以後、畠山氏歴代の居城として140年あまり続きました。

その後、伊達政宗の攻撃により落城したそうです。

豊臣時代に会津城の支城として、

頂上の本丸やその周辺にも石垣が積まれ

近世の城郭として機能し始めました。

江戸時代初期も会津領としてあったそうですが、

1643年に二本松藩が誕生し、丹羽氏の居城として

220年余り続いたそうです。

1868年の戊辰戦争の際に、城内、家中屋敷のすべてを焼失し

7月29日に落城しました。

明治から大正末年までは、民間製糸工場として活用をはかられ

その後は公園として開放されました。

 

石垣を堪能しよう

 

ということで、一部は修復、復元をされているみたいです。

では、全体図を見てみましょう。

見どころは9つですでに、2つは見ています。

あと、7つね。

 

箕輪門です。

天気が良すぎて看板が見にくい。

江戸初期城主、丹羽光重が建てた門を再建したそうです。

昭和57年ですから、もう40年。

いや、10年ほど前に行っているからその時は30年経っている

門なんですね。

すてきですね。

裏から見るとこんな感じです。

これで3つ目終わりました。

 

石垣を曲がって行きます。

これが傘松?

 

井戸も残っていますよ

 

今でも湧き水を溜めているそうです。

本当に日陰にあるわあ。

って由来はそうじゃないんですけど。

 

さっきのが傘松であれば4つ目5つ目と見終わりました。

 

そして、来ましたよ。

本丸の石垣。

 

タイルに描かれた説明を見てみよう

 

何やら、石垣の修復の説明などがかかれているようです。

詳しく見たい方のために

細かい写真貼っておきます。

この下の絵、臨場感あっていいですよね。

こういう、発掘調査って大変なんでしょうね。

 

天守に登登りましたよ

 

そんな大変だったであろう調査のおかげで復元した

本丸です。

ざ。何にもない。

空がきれいだなー。

 

当時の石垣があったり・・・

こんな感じの広さだったり・・・

あとは、石垣見るぐらいです。

 

みんな大好き?石垣です

 

ここからは石垣ばかりです。

石垣に詳しくなるチャンスです。

 

はー。旧石垣の前面に今の石垣を築いたんですね。

 

この石垣の中に旧石垣が埋まっているんですね。

 

そして、天守台西面の石垣の説明が難しい。

使われた石は野面石です。加工していない石ですね。

一部に荒削りの石が使われているようです。

積み方は「穴太積」です。

大小の石材を横積みにし、数石しか横目地の通らない

いわゆる「布積み崩し」の積み方だそうです。

 

布積みはこんな感じです。

江戸城

こういう風に横の目地が通っています。

これが布積みです。

 

石垣の説明はまだまだ続きます。

 

石垣に飽きましたか?

はい。私も。

もう少しあるのでお付き合いください。

 

これは旧石垣が残っているところですね。

 

はい。で、犬走があったんですね。

すみません。この写真じゃわかりづらい。

上段と下段の間に犬走があったとあるので

このツタが生えている石垣の上が犬走かと思われます。

 

搦手門に来ました。

礎石は当時のままなんですね。

約1.4mの扉が付く高麗門である可能性が高いようです。

真ん中あたりに左右礎石があるのがお分かりになりますでしょうか?

これが礎石です。

 

高麗門とはこのような門です。

Wikipedia江戸城高麗門

こんな感じの門が建っていたんですね。

 

今はこんなですが。

 

ということで、二本松城でした。

というか、2城目でこんな石垣ばかりの

説明ばかりは当時の私も辛かったことでしょう。

編集していて、まったく覚えていない自分にびっくりです。

そんなもんです。

 

見どころの

智恵子抄の詩碑とか

洗心亭とか

少年隊のなんとか碑とか

見ていない気もしますが

良しとします。

 

姫路城の天守閣めぐりは大変です。

姫路城 1城目

 

姫路城の天守閣はほんとに広い

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

天守閣巡りはまだまだ続きます。

こんな太い梁を眺めながら歩きます。

 

大柱の説明がありました。

2本の大柱は全長24.6mあるそうです。

しかも、昭和の大修理で補修しているとのことで

この東の大柱は通し柱だそうです。

すごいですね。

 

西大柱は痛みが激しいので交換することになったのですが

その木材を見つけるのに1年かかったとのこと。

下部は樹齢約780年もの

上部は笠形神社の御神木で樹齢約670年のものを

以前と同じように3階部分でつなぎ合わせているそうです。

御神木まで使うとは・・・

それほどに巨木がなかったのでしょう。

これがつなぎ目ですかね。

 

こういう屋根裏が無駄なく使用されていたんですね。

この木の戸が内室です。

 

そして、ここから

鯱が近くで見れます。

やはり、城と言ったら鯱ですよね。

 

そして、神様も祀られています。

 

ここは最上階。

天守はやっと見終わりました。

 

天守閣からみた城内です。

 

小天守との組み合わせが美しい

 

と思ったら、まだまだでした。

小天守を見て回ります。

 

こんな構造が見られるのも

姫路城ならではです。

大天守に三つの小天守が囲んでいるそうです。

 

そして、これが渡り櫓かな・・・

 

乾小天守とつづきます。 

こんなに大天守が近くに見え

これがお勧めの櫓群のようです。

面白いですよね。姫路城でしか見られない。

 

天守を見終わったからといって終わったわけではない

 

天守を見終わりまして

水三門に来ました。

可愛らしい門です。

 

これがイの渡櫓

 

こちらがほの門です。

小さいけど、頑丈そうですね。

 

天守群です。外から眺めてもすてきですね。

ちゃんと説明がありますので

それを見ながら確認します。

大天守、乾、西の3番目まではいいんです。

そのあとが、ん?どこだ?あれか?それで?・・・

みたいになり、全部を確認するのを断念します。

 

まだ見どころがあって帰れない・・・

 

これがにの門です。

独特な作りをしていますよね。

 

そして、これがはの門です。

ここを行きに通っていれば

もっと速く天守に着いたのに。

 

櫓もいっぱいあるのを忘れてはいけない

 

それから西の丸に行き

百閒廊下です。

蓋してありますが、隙間から石を落とせるようになっています。

 

そして、これは珍しい作りです。

穴が開いているので、そこから水がパイプに流れるのでしょうか。

 

そして、来ました。

長い廊下。百閒廊下です。

こんな風になっています。

 

そして、女性のことを考えた作りです。

うん。ごつい。

 

奥女中がいて、長局といところに住んでいたようです。

長局とは長屋のことだそうです。

渡櫓が長局になっていたんですね。

 

千姫と化粧櫓

 

そして、化粧櫓が見えます。

これが外から見た化粧櫓です。

 

千姫とは徳川秀忠の娘だそうです。

豊臣秀頼に嫁いで、大阪が落城した際に追い出されています。

その後、本多忠則に嫁いだそうです。

しかし、幸せな結婚生活も長くは続かなかったようですね。

こちらは千姫年表です。

年表という文字になぜか拒否感を感じて

全く見る気がしないのはなぜでしょうか。

 

こんな感じなようです。

 

千姫、すごいですね。

7歳で嫁いでいます。

こんな感じで楽しんでいたのでしょうか。

 

化粧櫓からの多聞櫓です。

 

やっと終わりが見えてきました

 

そうして、無事に見回り

菱の門にきました。

内側からだとこんな感じです。

そして、名前の由来になった菱の紋です。

戸が閉まっていても、かっこいいですね。

 

体力に余裕があったら見に行こう

 

そして、こんなところもありました。

天守の庭です。

昭和の天守解体修理のときに掘りだした大天守の礎石が平面展示されています。1601年(慶長6年)~1609年(慶長14年)の築城以来、総重量6,000トンと言われる天守の総重量を支えてきた地盤は徐々に沈下し、礎石は高低差を生じて東南方向に44cm傾斜していました。

そこで昭和の解体修理時に天守基礎にはコンクリートの地盤を埋め、そこに柱を立てることにしたため従来の礎石はすべて取り除かれました。

そこでそれらの礎石をもとの配置で再現したのがこの「天守の庭」です。

姫路城完全観光案内所

 

これであの天守を支えていたんですからね。

すごいですよね。

 

そして、交換した西大柱です。

これが支えていたわけですね。

 

帰りたい気持ちが先走り、石垣はチラ見です

 

後は、石垣をちらっと見て終わりです。

ちらっ。

ちらっ。

 

そして、門をくぐり

桜門橋で終了です。

長かったー。

 

今の大手門は江戸時代と全く異なっているそうです。

なんだか残念です。

 

ということで、長かった姫路城がやっと終わりました。

いやー、写真が多い。

しかし、また行きたいですね。

きれいになった姫路城を町から眺めるのもよさそうです。

 

しかし、体力がない人は休み休み見ましょ。

そして、寒い時期に行く人は

天守閣では靴を脱ぐので、

その上からもう一枚靴下履くなり

スリッパ持参するなりするといいです。

 

足元から冷えますから。

寒くて見るどころじゃなくなりますからね。

 

 

姫路城ってこんなに見どころいっぱいだったけ?

姫路城 1城目

 

ここは最高に見どころがある城

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

最近は城跡などが多く忘れておりました。

国宝にもなるとこんなに見どころがあるのかと。

しかも世界遺産ですからね。

いろいろあり過ぎて、ある意味疲れます。

 

もう、丁寧な説明とか

私には無理なので

サクサク紹介していきます。

 

ざっと城を見ていきます

 

はい。もうなに門なのかわからない。

しかし、立派な門がでてきます。

 

備前門だったようです。

 

それから井郭櫓

名前が載っているとわかりやすいですね。

 

こんな感じの井戸があります。

 

そして、旧番所です。

上の窓も珍しいそうです。

 

天守のかなり近くまできましたよ

 

見てください。やっとこんな近くまで来ました。

しかし、まだまだ入りません。

もう、天守に行きたい・・・

 

そしたら、こんな門がでてきました。

どこの門よ?と思っていたら

搦手門でした。

中世の置塩城の大手門を移築しているそうです。

そりゃ、りっぱなわけだ。

 

反対側から見るとこんな感じです。

 

お待たせしました。やっと天守閣にはいります

 

はい。来ました。

やっと入ります。

  

はい。どーん。天守閣

ここまでが遠かった。

やっと入れますよ。

 

まずは案内図を見ましょう。

ん?

地下1階の6階建て?

これを周るの?広くない?

 

広すぎる天守閣。まだまだ歩かないといけません。

 

広いだけじゃありませんよ。

更に見るところいっぱいです。

こんな釘隠しや

流しの構造の説明もあります。

 

当時の私は疲れた体に鞭打って

一生懸命頭を働かせたのでしょうが、無理でした。

この写真見てもなーんにも思い出しません。

 

この後は私も新鮮な気持ちで説明を読んでいきます。

 

すごいですね。

籠城も考えて作られていたんですね。

姫路城酒井家の家系図です。

この手は全く興味がないので、興味がある人はどうぞ。

酒井家ってすごいんですね。

藩主を最も長くつとめた大名だそうです。

 

そして、厠です。

現存の城では唯一の厠だそうです。

このトイレもこんなに注目されることになるとは

思ってもみなかったことでしょう。

 

この柱も大きいです。

 

梁がすごいですね。太い。

 

戦に備えた設備

 

武具かけもありました。

こんな感じでかけられていたそうです。

 

戦に備えた設備がいたるところで見られます。

 

狭間、石打棚はこのように使われるようです。

 

そして武者隠し

こんな感じです。

 

ということで、やっと天守閣はいりました。

まだまだ、天守は続きます。

 

姫路城はなかなか天守にたどり着かない

姫路城 1城目

 

坂道が多い姫路城

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

天守までグルグル回るように向かうのが

有名な姫路城ですが

天守にたどり着くまで坂道

緩い坂道がずーーっと続きます。

 

そんな感じで歩いていると

ぬの門に来ました。

 

ぬの門は重厚でカッコイイ

 

城内で唯一の三層の櫓門で、扉は木部をすべて黒鉄張りにし、太鼓鋲で止めた頑丈な門です。

上部には隠し石落としがあり、門に入る者を監視し撃つことが出来るようになっており、備前丸へ向かう重要な門であることが伺えます。

上の写真より

 

ということでかなり重要な門だそうです。

人が写っていると門の大きさがわかりますよね。

かなり大きいです。

 

この門を通って御殿に行く道を下道というそうです。

はの門からにの門からほの門から天守への道を上道というそうです。

 

地図で見るとこんな感じです

 

〇がぬの門で、今いるところです。

これが上道

 

 

こちらが下道です。

 

そう。そして私たちが選んだのは

下道。遠回りの道です。

上道行けばもっとサクッと天守に着きますよ。

 

振り返って全体像を見てほしい

 

門の全体はこんな感じです。

 

門の左側部分です。

  

ぬの門を通って歩いて行くと

こんな感じの壁が見れます。

 

狭間です。なんだか可愛らしいですよね。

 

天守がこんなに近くに見えているのに

まだ着きません。

 

あの有名な一枚足りない~っていう井戸です

 

一枚~二枚~と数えることで有名なお菊さん。

しかし、ちょっと説明が良くわからないのですが

なんで、町坪弾四郎は恋暮していたのに?

何度読んでも町坪弾四郎の気持ちがわかりません。

 

そんなもやもやを抱きながら

門を通ります。

こんどは小さい門ですね。

 

そしてまた狭間です。

なんだか狭間の写真が多い。

ここの狭間は四角だけですけれども

高さがいろいろですね。

 

はい。そして帯の櫓があります。

こんな感じです。

 

そして腹切丸です。

実際は腹切されたことは無いとのこと。

 

そして石棺です。

古墳の石棺を石垣に使用しているそうです。

こんな感じで使われているのですね。

石も集めるのって大変なんですね。

  

この石棺の写真で思い出しました。

ここに来た時点で私はもう疲れていたということを。

そう、坂道だし、見るとこたくさんあるので

途中でもうぐったりでした。

 

次回もまだまだ天守にはたどり着きませんよ。

 

城巡りを始めるには有名な姫路城から

姫路城 1城目

 

初めては姫路城

 

 

やっと書けます。1城目

これが始まりでした。

 

もう、10年以上前。

懐かしいです。

 

この時はこんなに城巡りに付き合うとは

思ってもいませんでしたし

こんなに大変なんだとも

思ってもいませんでした。

 

夫の戦略

 

城に興味がない。ということで

初心者でも楽しめる城を選んでくれたらしい。

この最初が失敗すると

もう行かない。ってことになりますからね。

夫としては必至ですよ。

 

姫路城は誰もが知っているお城ですし

大きいので見どころありますし

町中にあるので、町から見えるのもいいですよね。

 

ただ、あまりの大きさに

かなり歩きますので、体力ない人は要注意ですよ。

 

広さをみてみよう

 

はい。こんなに広いんです。

そして、こんなに複雑なんです。

広い上に、うねうねと歩かなくてはいけない。

しかも、天守ものぼりますからね

 

きれいに整備された城は

いろいろ見て歩けるので

とてもいいです。

 

しかし、知識が無い私は

すぐに飽きてしまうんですけれども。

 

それでも飽きさせないそれが姫路

 

まずは入ったらこんな感じです。

いいですよね。

城に来ました。って感じです。

 

別名、白鷺城と言われる白いお城。

この時はまだ塗りなおす前なので

そんなに白くありません。

今は真っ白だそうなので、もう一度見に行きたいですな。

 

天守に着くまでが大変な姫路城

まずはこんな感じの門をくぐります。

菱の門です。

ここもいい感じです。

 

案内図を見るとぐるっと回るのがわかるでしょうか。

そして、門が多い。

 

姫路城とはどんな城?

 

姫路城は播磨国飾磨郡[注釈 1]の現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。

江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。

1993年平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された[14]。この他、「国宝五城」[注釈 2]や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。

Wikipedia

 

これを読んだだけでも、

すごいお城なんだろうなって感じがしますよね。

 

明治時代はどうだったのか?

 

明治時代初期に陸軍省の管理下に入ったが、まもなく民間に払い下げとなり、競売で神戸清一郎が23円50銭で落札したが、その後権利が放棄されたらしく国有に戻っている

Wikipedia

 

だそうで、それから修復を行っています。

 

陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などを名古屋城とともに保存する処置が取られ、その後また腐朽が進むと市民の間から両院に修復工事の陳情が行われ、議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われた

Wikipedia

 

そう。こういうお城って、修理しようとか

保存するためにって働きかける人がでてくるんですよね。

そうしないと、今は無いわけですからね。

 

今、公開されているのは市民のおかげ?

 

この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと城を公開にすることを求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年(大正3年)に軍用地を除き姫路市への無償払い下げが決定し、公開されることなった

Wikipedia

 

この兵庫の人がすごいのか、かなり国に要請してますね。

このころから姫路城は市民に愛されていたのでしょうか。

 

太平洋戦争中には姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。

Wikipedia

 

しかも、これがすごいですよね。

不発弾になったという幸運。

 

そういう風に見ると

更にこの城が現存していることが

有難く感じます。

 

あ、行ったときは知らなかったので

そんな風には思っていませんでしたけど。

 

狭間という言葉は姫路城で知りました

 

このような感じで城を眺めながら

歩いて行きます。

 

菱の門をくぐり

 

門をくぐり

 

はい。狭間がでてきました。

 

姫路城と言えば「狭間」ですよね。

いろいろな所に「狭間」があります。

狭間から覗くとこんな感じです。

 

そして、また門をくぐります。

もう、なに門かはわかりません。

 

そうすると石垣が見えてきます。

さすが姫路城。

石垣の説明も丁寧にしてくれます。

扇の勾配の説明です。

姫路城では、天守台をはじめ主要な櫓台や高い石垣は「扇の勾配」の積み方をしています。この勾配の特色は、石垣の傾斜面を内側に扇を開いた形に湾曲させているもので、こうした傾斜をつけることによって石垣を高く積むことができます。

もちろん、石を高く積むだけではなく、石垣の内側に含む水や土の圧力で、くずれやすくなるのを防ぐねらいもありました。このことは、攻め手がよじ登るのを防ぎ一石二鳥の効果をもっています。

上の写真より

 

という、石垣です。

野面積みの角は算木積みです。

 

このころは、野面積みとか知らなかったですし

まったく興味がなかったなあ。

きれいな石垣ですよね。

 

ということで、次回はたぶん

まだまだ外側の紹介で終わりそうなぐらい

見どころいっぱいな姫路城。

こうやって振り返ってみると

やはり特殊な作りのお城です。

 

佐賀にもあるよ名護屋城

名護屋城 60城目

 

名護屋城をめぐります

 

 

閉館になる前にハンコを押せて一安心

したあとは、名護屋城をまわります。

 

名護屋城は広いので地図を確認しましょう。

肥前名護屋城より

まず下の博物館から大手口に行きます。

 

これが大手口の石垣です。

 

ここを右側に行けばすんなりと本丸に行けます。

 

なぜ普通に本丸を目指さないかがなぞ

 

すんなりと本丸には行かず

なぜか左手の道から行きます。

この道を歩いて行きます。

何人か他にも人がいましたけど

この道歩いている人

一人もいませんでしたけど?

 

全くお勧めしない順路です。

途中には崩れた石垣が見れます。

 

そして、歩いて行くとこんな怪しい道を行きます。

え?暗いんですけど、道合ってますか?

 

搦手口が見えてきました。

道順は合っていたようです。

 

上ると、はい。何もありません。

いやー。犬の散歩には最高ですよね。

 

こちらにも崩れた石垣が。

 

今は二の丸に来た模様です。

本丸に行くには船手口あたりから回り込む様に行くのかな。

 

珍しい順序で行くからでしょうか?道に迷いました

 

このようなのどかな景色が続きます。

こちらの石垣登れるんですけど

とっても怖かった。

階段も急で、石垣の幅が見た目よりも狭いです。

しかも、柵などがありませんので

高所恐怖症の私は途中ですぐに引き返しました。

夫は平気で上を歩いていましたけど。

 

この後にどうやら船手口を出てしまい

道路に突き当たります。

名護屋城は案内があまりないので

ちょっと端を見に行くとすぐに

どちらに行ったらいいかわからなくなります。

道を外れてお墓が見えたら

その道は間違っていますので

注意してください。

 

本丸は何もないわけではありません。

 

そして、戻って来てやっと本丸に着きました。

本丸と言わないとどこだかわからないこの景色。

安心してください。

礎石はあります。

こんな感じのも。

多聞櫓跡です。

礎石もあります。

 

そして、石垣なめの玄界灘がいいです。

本丸からみた玄界灘

この本丸も柵などありませんので

見晴らしがとてもいいです。

しかし、私からしたらとっても怖い。

あまり端によりたくなかったです。

  

帰りは楽でした

 

本丸を大手口方面に下りると

三の丸です。

 

ここは馬場です。右側に旧石垣があるとか・・・

もう疲れたので、ここで引き返しました。

 

そうして登城坂

ここは最初に右に行っていればすぐに見られるところです。

皆様は大手口から登城坂を上って

さっさと本丸に行きましょう。

 

ということで

思ったより広い名護屋城

いや、素直に本丸行っていたら

そんなに歩かなくてもすんだのでは・・・

 

景色はとてもいいですし

ところどころに

大名の陣跡がどのかという案内図がありますので

それを見ながら楽しむのもいいと思います。

 

伊万里市に移動です。

 

名護屋城を見た後は

伊万里市に移動するのですが

その前に、買ったイチゴで

ビタミン補給です。

こういう楽しみがないと。

 

名護屋城に行く前に

すぐそばにある

桃山天下市

というところで、イチゴを買っておきました。

 

さて、気分も良くなったので出発です。

 

佐賀県は焼き物も有名なので

ぜひ見ないといけませんよね。

1回は聞いたことがあるだろう

伊万里焼と有田焼

 

今日は伊万里市に泊まって

次の日に伊万里焼と有田焼を見に行く予定です。

 

伊万里駅は変わっている

 

伊万里駅って独特な状態になっています。

佐賀新聞の記事によると

佐賀新聞より

かつて1本のレールでつながっていたが、伊万里市が道路を通すために分断した。 

佐賀新聞

 

と書かれています。そう。分断されているんです。

こんな駅見たことがありませんでした。

 

 

秘窯の里に行きました

 

よくわからないけど夫につれてこられたのが

秘窯の里 伊万里大川内山です。

 

たくさんの窯元があって

見て回るのが大変でした。

 

夫が探しているのは

家のニッチに飾る

招き猫とかそういう動物とかの小さい焼き物

 

そう。家のニッチ(小さい棚みたいなところ)には

各地で買ってきた

焼き物などが置いてあります。

沖縄のシーサーもいますし

招き猫も2個

バリで買ったガネーシャもいます。

 

はい。カオスです。

 

そこに、加えたいのだそうです。

 

そこに丁度いい「犬筥(いぬばこ)」がありました。

狗筥(いぬばこ)は、犬張子、お伽犬(おとぎいぬ)とも呼ばれ、顔は幼児に似せ、身体は伏せた犬の姿をした、男犬・女犬を一対とする人形です。

その昔、裕福な家では狗筥の中にお化粧道具を入れ、花嫁道具のひとつとされていました。

安産のお守りとして、また無事に出産を終えた後は幼児の無病息災を祈るため、その枕元に飾られたもので、のちには桃の節句の時期に、子供の成長を願いひな壇に飾られるなど、代々家宝として愛されてきた人形です。

HATAMAN

 

このようなかわいい犬です。

後ろは招き猫やシーサーです。

 

予算はオーバーしたんですけど

夫は満足そうなので良しとします。

 

私は実用的な物買います

 

私が気に入ったのは

巒山窯のもの

繊細で濃淡がとても美しいです。

ものによっては同じ色なのに

ピンク色にも見えるものもあります。

 

予算と柄と使える器というところで

これにしました。

同じ柄だけれども

内側に描かれているのと

外側に描かれているものにしました。

 

いつか地紋シリーズがほしい。

 

有田焼に行こう

 

ということで、二人で満足な物を買えたのですが

有田焼も見に行こうということで

来た道を行くのではなく

なぜか山道に行く夫。

同じ道通っても面白くないんですって。

 

まあ、その山道も

テン?だかリス?だがの動物に会い

山菜を取っている老夫婦の横を通り

何とか有田駅まで来ました。

 

しかし、駅前に行く途中で気になりました。

なんだかお祭りの片づけしているような・・・

そしたら、駅の看板で判明。

 

「有田陶器市」が4月29日から5月5日まで開催していました。

そして、今は5月6日。

一日遅かった。

 

しかし、ですよ。陶器市は残念でしたが

この通り。陶器市のメイン通りになるのでしょうか。

ここの建物。古くてとても味のある素敵な建物がいっぱいです。

かなりいい。

陶器市をしてなくても、建物見て歩くだけでもいいところです。

 

有田焼はかなりのお店があるので

先ほどのように一軒一軒回ってられません。

ということで、大きなお店に行ってみたのですが

一般的過ぎたのか

好みのものがありませんでした。

 

やはり、小さいお店をまわるのが

お気に入りを見つけるコツなのでしょうか。

 

ということで、有田焼は何も買わずでした。

 

飛行場に向かいながら肉を買う

 

飛行機は最終便なのですが

そんなに余裕もありませんので

空港に向かいます。

 

しかし、お土産は佐賀牛と決めてましたので

お肉屋探します。

 

普通の肉屋でいいんです。

と思ったらありましたよ。

今回はミートミーツ・ハナモリで買いました。

駐車場停めにくいですが。

時間もなかったので、とにかくここで購入。

 

箱詰めしてくれると言ってくれてましたが

時間がないので、そのままで貰ってきました。

 

焦りすぎて

自分たちの分を買うのを忘れましたが

まあ、いいです。

また、脂でお腹を壊すと困りますから。

 

ということで、佐賀県もこれで無事におわりました。

佐賀県は本当に食事が美味しかった。

それだけ皆様にお伝えできれば十分です。

 

唐津市はイカだけじゃない、今まで食べた中で一番美味しい蕎麦もある

名護屋城 60城目

 

大陸出兵の時は佐賀は京並みににぎわっていたとか

 

 

「なごやじょう」と聞けば

だいたいの人が名古屋の名古屋城を思い浮かべますが

佐賀にもあります「名護屋城」

 

ここは豊臣秀吉が大陸出兵を目指す様になり

その足掛かりとして建てられたのが

名護屋城だそうです。

 

ですので、この名護屋城の周りには

大名の陣屋跡がたくさんあります。

 

伊達政宗陣跡もあったりして

伊達政宗もここまで来たんだ・・・と感動してました

夫が。

 

城を見る前には腹ごしらえだよね

 

今回の一番の楽しみ

蕎麦を食べに行きます。

 

テレビで紹介されいる美味しそうな店を

マメにメモっている夫が

「本当に美味しい蕎麦らしいよ」

という言葉を信じてやってきました。

山ン中。

 

里味庵です。

 

急な坂道を上ります。車で。

ここで、ご注意ください。

里味庵には駐車場がありません。

近隣の人に迷惑にならないように車を停めてください。

 

里味庵の旗があるからといって

細い坂道を車で下りてはいけません。

バックで戻る羽目になります。

 

常連さんが車を停めてますので

それを見習って停めましょう。

 

入り口はこんな感じです。

この奥のお家が里味庵です。

 

ちょうど空いている時で

待たずに入れました。

 

縁側から眺める景色もいいです。

 

店員さんも親切にお蕎麦の説明をしてくれます。

今回はのどごしと粗びきだけだそうで

それを一つづつ頼みました。

 

また来たいお蕎麦屋さん。今までで一番美味しいかもしれません。

 

こちらがのどごし。

こちらが粗びきです。

 

ここは、めんつゆでも食べれますし

スプレーの醤油や岩塩でも食べることができます。

 

これ、見た目は普通の蕎麦なんですが

食べると違う。

特に粗びきは今まで食べた蕎麦と違いました。

 

のどごしは香りのいい蕎麦って感じですが

粗びきはもちもちしている蕎麦なんです。

これが美味しい。

食べたことがない蕎麦でした。

本当にここまで来てよかった。

 

いやーーー、美味しかった。

この蕎麦食べるために

また唐津市に来たいぐらい。

 

ちょっと不便なのですが

来る価値あるお店でした。

そして、ご主人もいい人で

詳しくお蕎麦の事教えてくれました。

 

里味庵

佐賀県に行ったらぜひ寄っていただきたい。

 

唐津市といったらイカです。イカの活け造りです。

 

唐津市の呼子に来たら食べなきゃいけないのが

イカの活け造りです。

というか、会社の人に教えてもらうまで

知りませんでした。

仕事で唐津市に来た時に食べたそうです。

透明で美味しかったよ。と教えてもらいました。

 

イカの活け造り?北海道で食べましたし。

と思っていました。

 

これ、全く別物ですので

ぜひぜひ食べてください。

だって、こんなですよ。

ほら。こんなに透けてる。

足はぴくぴく動いています。

 

これがコリコリしていておいしかった。

 

呼子のイカが特別な理由

 

呼子のイカの活け造りの特徴は

人の手に触れないことだそうです。

一本釣りしたイカを

手を触れないように針を外して

生け簀に入れられてお店に運ばれるそうです。

イカに初めて触れるのは料理人だそうです。

という説明がポスターに書いてありました。

 

この上の部分を食べたら

この足とかは天ぷらや唐揚げにしてくれますので

安心してください。

(この足がぴくぴくしているのも生で食べるのかと、ちょっとビビッていたのは私です)

 

お店が多いのに売り切れるのも早い

 

沢山のお店がイカの活け造りを出してますが

大体が午前中ぐらいで終わってしまいますので

早めに行くことをお勧めします。

 

私たちは1時過ぎに着いて

開いているお店探すのが大変でした。

 

しかも、やっとあったと思ったら

1時間ほど待ちます。

混んでました。

 

それでやっと食べられたイカの活け造り

コースですと他にも

刺身とかついてきます。

イカシュウマイも人気だそうで

これも美味しかったです。

 

待った甲斐があったイカ刺しでした。

 

食事を2回してやっと行きました名護屋城

 

蕎麦食べて、イカ刺し食べて

やっと名護屋城に行きます。

 

イカ刺しにビールを飲んだ夫のおかげで

私が運転します。

 

うっかり入り口を見逃してしまい

じゃあ、名護屋城を一周するということで

ぐるっと回っていたら

こんなところを見つけました。

山里口だそうです。

すんなり入り口に入っていたら

見逃していたところでした。

 

そして、気を取り直して入口へ

スタンプは入り口のところにある

名護屋城博物館にありますので

そこにダッシュです。

だって閉館が5時ですから。

そして、今、丁度5時ですから。

  

本も10年以上たてば進化している

 

そして、そこに衝撃がありました。

受付に置いてあったのは100名城の本

しかも新しいバージョンです。

これが新しいバージョンです。

少し小さくなって持ち運びがしやすくなっています。

しかも値段もかなり安くなっている。

写真や説明も見やすくなっていました。

今、買うならこちらがお勧め。

 

そして気を取り直して名護屋城

佐賀県は5時でもまだまだ明るいので

見て回るには問題ありません。

 

ということで、次回は名護屋城をぐるっと回ります。

なぜか迷ったりして結構歩きました。

吉野ケ里遺跡は城のはじまり

吉野ケ里遺跡 59城目

 

吉野ケ里遺跡って城のルーツだそうです。

 

 

100名城の本のなかで

築城年代が

天正何年とか慶長何年とか載っている中

弥生時代って。

なんで、この時代のものを

城の部類に含めるのかと思っていたら

 

吉野ケ里遺跡は

二重三重に濠を巡らした城のルーツというべき

環境集落がつくられるようになったと考えられている。

んですって。

 

では、その吉野ケ里遺跡に行くぞ

と思っていたら、相変わらず寄り道する夫

 

三重津海軍所跡に行きます。

え?聞いたことないですか?

はい。私もです。

 

船を作っていた跡だそうですが

こんな感じです。

とてものどかな原っぱでしたよ。

 

なんと世界遺産に登録されているそうです。

これからもっと発掘して

見ごたえのあるものにしてほしい。

今は、鳥の鳴き声が楽しい、原っぱです。

 

しかしですよ、その傍には

歴史館という素晴らしい建物がありますので

そちらを見るのもいいのではないでしょうか。

 

私たちは寄りませんでしたけれども・・・

 

そんな、世界遺産を見て

やっと、吉野ケ里遺跡です。

 

滋賀県は太っ腹

 

吉野ケ里遺跡は大きな公園ですので

ゴールデンウイーク中はとても混んでました。

 

入り口で来てチケット買おうと思ったら

「本日は無料でーす」

ってお姉さんが叫んでいるではありませんか。

 

なんですと?

この稼ぎ時に無料ですと?

佐賀県大丈夫ですか?

 

いや。助かりますけれども。

 

そんな吉野ケ里遺跡

とっても広いです。

すべてを回ろうなんて思いません。

 

夫とじっくり地図を見て

要所だけを回れるように

順路を考えます。

 

行った日は、5月4日だったんですが

お天気がよく、あまり日陰もないので

日に焼けそう。

というか夫は焼けてました。

 

日焼けが気になる方は

日傘必須です。

 

私は、日焼け止めを何度も塗って対処しました。

傘持つの面倒なんで・・・

 

広すぎて後半やる気が失せます。

 

こんな感じが広がっています。

すごいですよね。

これが大きな公園のいたるところに建てられてます。

 

中はこんな感じになっていて

中で食事しても良い建物があったりします。

 

入り口はこんなんです。

このような建物が

いくつも、いくつも、いくつも・・・・

 

ものすごくたくさん建てられてます。

規模が大きいですよ。

すごいですよね。

集落を再現しているんですから。

結構人もいますよ。

わかりますか?

ほとんど同じ建物だと

見るのが雑になってきます。

 

時々このような大きな建物があったりしますが。

中も上れますよ。

 

こんな感じをずっと見ます。

2時間ぐらい歩いたでしょうか。

もう、広すぎます。

 

それでも、建物があるところだけで

全部は回っていなので

本気ですべてを見ようと思ったら

一日がかりかもしれません。 

 

唐津市に向かって出発です。

 

吉野ケ里遺跡をでて

本日泊まる予定の唐津市に向かいます。

 

今夜唐津市に泊まって

明日、名護屋城を見る予定です。

 

順調に走っていると

寄り道大好き夫が何か見つけます。

樫原(かしばる)湿原だって」

ということで湿原に寄ることに。

 

湿原はこんな感じ

このような風景が広がっています。

ごっついカメラも持ったおじさまが

2人ほどいたので

本当はもっと素敵な写真が撮れるのでしょうね。

 

蛙がたくさん鳴いていましたよ。

 

唐津城は立派ですが100名城じゃありません。

 

唐津に着いたんですが

なぜか、海岸沿いを散歩です。

 

何にもないところをなぜ歩くのか?

私にはさっぱりわかりませんが

海を見ながらふらふらするのが楽しいのだそうです。

玄界灘を眺めながらの散歩です。

 

ここからは唐津城も見えました。

すごい立派ですよね。

しかし、100名城ではないので写真のみです。

唐津城は100名城です。

「続」もやるようになったら、またここに来るのか・・・

なんて思いながら写真撮りました。

 

唐津は豚肉も美味しい

 

そんな唐津市

駅の周りは意外とお店がありました。

お寿司屋さんもあったんですよね。

本当は寿司屋に寄りたかった。

 

が、しかし他に気になるお店を発見してしまいました。

れんが亭

もち豚のしゃぶしゃぶですって。

ということで入ります。

 

しゃぶしゃぶコースにしました。

この前菜も美味しかった。

 

そして、お肉はこれです。

ちゃんと部位がわかる様になっているので

後で「これなんだっけ?」になりません。

 

他にヒレカツが有名みたいで

頼んでいるお客様が意外と多かったのだけれども

かなりのボリュームなので

私たちは諦めました。

 

沢山食べられる方は

ぜひぜひしゃぶしゃぶとヒレカツを

両方とも楽しんでください。

 

そう。このしゃぶしゃぶの〆がすっごく美味しかったんです。

お肉を食べ終わった後に

うどんを入れるのですが

いろいろと味が選べます。

一番人気なのがカルボナーラ風。

ということでそれにしてみましたが

美味しい。

最後にボリュームがあるけど

写真を撮り忘れるぐらい美味しかったです。

 

ということで、次回は名護屋城に行きます。