箕輪城の見どころが探せない
これは2014年10月の話です。
やって来ました箕輪城
って、まったく聞いたことがありませんでしたが
群馬県にありますよ。
大堀切や土塁、石垣も残っていたようです。
はい。見事に覚えておらず
見たのかなーー?見てないのかなー?
って感じでした。
しかも写真がこれだけ
これしか撮っておりません。
これしか撮るとこないよ。
と思わせるぐらい
見どころは隠れております。
初心者には見つけにくいです。
石垣もあったはずです。
みなさんは探してみてください。
箕輪城とは
箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城である。
Wikipedia
はいでました。梯郭式。
これの真ん中の形ですね。
箕輪城の創築については諸説あるが、戦国時代初期に長野氏によって築かれ、のちに武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の城となった。
この地は相模の後北条氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏が侵攻をくり返すところであった。
天正18年(1590年)徳川家康から箕輪城を与えられた井伊直政が、城を近世城郭に改築したと伝えられている。
百名城解説より
ということで
結構重要な場所だったようで
城主も代わっています。
なのに今は何にもない。
いやあるけど、ないです。
富岡製糸場に行きました
その後に富岡製糸場に行ったのですが
特に興味がなかったのは
歴史を知らなかったからです。
しかし、建物はすごくよかった。
富岡製糸場。
近くの駐車場を探すのが
意外と大変でした。
こんなに大きい建物です。
富岡製糸場とは
富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な機械製糸[注釈 1]の工場である。
1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。
日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。
6月21日に日本の近代化遺産で初の世界遺産リスト登録物件となった。
Wikipedia
はい。夫大好き、世界遺産なので来ました。
富岡製糸場が世界遺産になれた理由
富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。
そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。
1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能した。
第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、操業停止後も片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、繰糸所を始めとする開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている。
Wikipedia
そう。ここ重要です。
片倉工業が保存に尽力したこともあって・・・
とあります。片倉工業ありがとう!
おかげで素敵な建物が私も見れているわけです。
歴史は長いので興味がある方はWikipediaで読んでください。
造りが面白いのです
小屋組は木造のキングポストトラスである
らしいです。
これのことかな。
窓ガラスはおフランスからの輸入品ですし
機械もおフランス製
ものすごくお金がかかっている
施設です。
機械が並んでいるのも
圧巻でした。
いやー、乗り気じゃなかったけど
行ってよかった。
帰りは、近くのおでん屋さんで
卵焼きを買って食べたのが美味しかったです。
城よりも富岡製糸場のほうが
記憶に残った日でした。