二条城の床を鳴らしに行こう

二条城 17城目

 

二条城にキターーーーーー

これは2015年1月の話です。

 

やって来ました。二条城。

この二条城が好きな人も多いはず。

床を鳴らしたい人多いはずです。

 

いやー、造りが素晴らしいですよね。

中を見る前からテンションが上がります。

 

ほらもう門の屋根とかすごいですよね。

 

二条城とは

 

二条城は、徳川家康が慶長6年(1601年)、京都における儀礼施設として築城に着手したそうです。

徳川家康将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの場所でもある。

Wikipedia

そうなんですね。

 

二条城をどんどん見ていこう

 

たしか、当時は中の撮影禁止だったような気がします。

今はどうかわかりませんが。

なので、外側を撮りまくってます。

外から見ても渋い。

庭園からもいい眺めです。

これが車寄せだったかな。

 

城の外からも楽しめます

 

二条城来て、石垣写している人ほとんどいなのではないでしょうか・・・

いろいろな門があります。

二の丸東南隅櫓かな。

そして、外側から見た門

 

ということで、京都来たら見ておきたい

見どころトップ3には入るんじゃなかろうか

と勝手に思っている二条城でした。

 

もう、説明はいりませんよね。

とにかく行ってください。

二条城は何回行っても楽しいです。

 

京都で会席料理食べてきました。

 

京都の嵐山の方にある懐石料理「錦」

こんな素敵なところで

食べてきましたよ。

こんな感じの素敵なお料理がでてきます。

1月に行ったのでお正月らしい感じです。

どれもおいしゅうございました。

もう一度行きたいお店「錦」

お上品なお店でした。

 

行くつもりがなかった本能寺からの清水寺

本能寺 清水寺

 

こんなところに本能寺が!

 

これは2015年1月の話です。

 

ご飯食べようとうろついていたら

あれ?見たことある寺の名前が

歴史習った人ほとんど知っているのではなかろうか

と思われる知名度の寺

本能寺

 

本能寺

ここは移築後なので

ここで本能寺の変があったわけではないが

なんとなく、しみじみ見てしまう。

 

夫の悪い影響を受けている

 

夫は一つのゲームにハマると

ずーーっとそれをやり続ける派です。

そして、昔ハマっていたのが

「信長の野望」

ほんと良くゲームしてました。

(今のバージョンはかっこよくなってる)

 

だからか、その時に出てくる映像で

炎の中だったかな?信長が能を舞うシーンがあるんです。

 

それと本能寺の変がリンクされ

私の中では

「ああ、あの火の中で能を舞っていた時のでしょ」

と間違ったインプットをされております。

 

正しい本能寺の変はWikipedia先生を見てください。

 

京都に来たらなぜか寄ってしまう清水寺

 

京都に来たらなぜが来てしまう

清水寺

なんででしょうかね。

寄りたくなる寺 清水寺

ここからがんばって登って行って

よく写真で見るやつ

この景色

舞台から見るより

こちら側から見る景色のほうが好きです。

 

ほんと、足元の造りとか

見ていて飽きないですよね。

 

お勧め七味家

 

そんな清水寺の近くには

有名な七味家があります

このころは七味にはまっていたので

いろいろなところで七味買ってました。

場所によって七味の中身の割合が違うので面白いですよ。

京都は御出汁の文化だからなのか

七味もやさしいお味。

店内も昔ならではって感じで

渋くていいですよ。

 

 

次回は二条城です。

二条城もいつ行っても素敵。

床もきゅっきゅっ鳴らしてきましたよ。

 

やっと銀閣寺の良さがわかる歳になりました

銀閣寺

 

雪の京都はいいです

 

これは2015年1月の話です。

 

来ました。京都。

雪の京都はいいですよね。

ということで、学生時代には全く良さがわからなかった

銀閣寺に来ました。

 

金閣寺はキラキラして

すごいことはわかるのだけれど

学生時代に見た銀閣寺は

銀じゃないし。黒いし。

と思ってました。

この渋さは大人にならないと

わからないですかね。

 

雪との相性がいい

 

そんな、銀閣寺ですが

雪との相性が抜群です。

寒かったけど

それよりも、雪降っていてよかったと

思える景色です。

 

木の間からとか

ちょっと近くから撮ってみたりして

銀閣寺を堪能しました。

 

初詣は平安神宮

 

そんな銀閣寺を堪能した後は

平安神宮に初詣です。

たしか1月6日ぐらいだったので

もう人が少なくて

ゆっくりとお参りできました。

にしても、広い。

ここが正月のときには

人で埋まるんですよね。

ほんと空いててよかった。

素晴らしい建物です。

いや。美しくってよかったです。

 

京都のお土産と言えば

 

京都に来た時には

絶対に買うお土産があります。

定番の「生八つ橋」

しかも、聖護院の生八つ橋の皮のみのものです。

中身いりません。

あの皮だけ食べたい。

聖護院 生八つ橋

 

しかも、夫のこだわりで

京都本店で買いたいのだそうです。

 

しかし、本当に皮だけでも美味しい。

食べ始めると止まりません。

 

最近、オサレなお土産がたくさんありますが

やはり、これが一番好きです。

 

京都に行くついでに掛川城に行こう

掛川城 18城目

 

久しぶりに建物がある城ですよ

 

これは2015年1月の話です。

 

そうだ。京都へ行こう。

と思い立ち

だったら行くついでに

掛川城も寄ろう

ということらしいです。

 

関東から大阪までは車で行く

という夫ルールがあるらしく

京都も車で行ってきました。

 

掛川城は天守が木造再建

という素晴らしいところです。

やはり、木造で再建するのって

いいですよね。

お金かかってますよね。

 

天守があるとちがいますよね

 

そんな天守がある掛川城

やはり見ごたえがありますよね。

 

これは油山寺に移築された二の門です。

すてきですよね。

 

って、これしか写真がないのですが。

 

掛川城とは

 

最初の掛川城は古城と呼ばれ、戦国時代に駿河守護の今川氏親が朝比奈泰煕に命じて現在の掛川城の北東の小高い丘の上に築かせた。

一時徳川家康が支配していたが、天正18年(1590年)山内一豊が入り近世城郭へと大改築の工事を始めた。

百名城解説より

 

ということらしいです。

1861年に二の丸御殿が再建されているそうで

それは重要文化財に指定されているそうです。

 

その二の丸御殿の写真が

なぜかない。

 

太鼓櫓も現存で重要文化財になってます。

みなさんはそこはしっかりと

見てきてくださいね。

 

 

冬の京都は楽しみだ

 

じつはほとんど記憶がない掛川城

その後の京都の記憶のみ残っております。

 

しかし、今から見ると

小ぶりの良い天守ですよね。

お寺に移築された門も素敵です。

 

そして、この後京都いきます。

京都はいつ行っても楽しいですよね。

 

箕輪城は上級者向け。からの富岡製糸場

箕輪城 15城目

 

箕輪城の見どころが探せない

 

これは2014年10月の話です。

 

やって来ました箕輪城

って、まったく聞いたことがありませんでしたが

群馬県にありますよ。

 

大堀切や土塁、石垣も残っていたようです。

はい。見事に覚えておらず

見たのかなーー?見てないのかなー?

って感じでした。

 

しかも写真がこれだけ

これしか撮っておりません。

 

これしか撮るとこないよ。

と思わせるぐらい

見どころは隠れております。

初心者には見つけにくいです。

石垣もあったはずです。

みなさんは探してみてください。

 

箕輪城とは

 

箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘梯郭式曲輪が配された平山城である。

Wikipedia

はいでました。梯郭式。

これの真ん中の形ですね。

 

箕輪城の創築については諸説あるが、戦国時代初期に長野氏によって築かれ、のちに武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の城となった。

この地は相模の後北条氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏が侵攻をくり返すところであった。

天正18年(1590年)徳川家康から箕輪城を与えられた井伊直政が、城を近世城郭に改築したと伝えられている。

百名城解説より

ということで

結構重要な場所だったようで

城主も代わっています。

なのに今は何にもない。

いやあるけど、ないです。

 

富岡製糸場に行きました

 

その後に富岡製糸場に行ったのですが

特に興味がなかったのは

歴史を知らなかったからです。

 

しかし、建物はすごくよかった。

富岡製糸場。

近くの駐車場を探すのが

意外と大変でした。

 

こんなに大きい建物です。

 

富岡製糸場とは

 

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な機械製糸[注釈 1]の工場である。

1872年明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。

日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。

6月21日に日本の近代化遺産で初の世界遺産リスト登録物件となった。

Wikipedia

はい。夫大好き、世界遺産なので来ました。

 

富岡製糸場が世界遺産になれた理由

 

富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。

そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。

1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能した。

第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、操業停止後も片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、繰糸所を始めとする開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている。

Wikipedia

 

そう。ここ重要です。

片倉工業が保存に尽力したこともあって・・・

とあります。片倉工業ありがとう!

おかげで素敵な建物が私も見れているわけです。

 

歴史は長いので興味がある方はWikipediaで読んでください。

 

造りが面白いのです

 

小屋組は木造のキングポストトラスである

らしいです。

これのことかな。

窓ガラスはおフランスからの輸入品ですし

機械もおフランス製

ものすごくお金がかかっている

施設です。

 

機械が並んでいるのも

圧巻でした。

 

いやー、乗り気じゃなかったけど

行ってよかった。

 

帰りは、近くのおでん屋さんで

卵焼きを買って食べたのが美味しかったです。

 

城よりも富岡製糸場のほうが

記憶に残った日でした。

 

心霊スポットらしい八王子城

八王子城14城目

 

山には登らなくてもよかったらしい

 

これは2014年5月の話です。

 

やってきました八王子城

先に注意しておきますが

山は登らなくて大丈夫です。

頂上に城址跡っていう石碑があるだけですので

体力が余っているのでしたらいいですが

特に登らなくても問題ありません。

 

そう、無駄に登りましたので。

体力もないのに。

その時犬も連れていたのに。

がんばって登ったら

石碑しかないって。

そんな悲しいことがありますでしょうか。

 

曲輪や石積がありますよ

 

はい。建物は残っておりません。

石段

石段の上には広い原っぱが広がっています。

門はありましたけど

それだけでした。

な、なにを楽しめばいいのでしょうか。

 

八王子城とは

 

何もないときは歴史を楽しむしかありません。

 

八王子城は北条氏の本城である小田原城支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった

Wikipedia

 

天正12年(1584年)ごろから

北条氏康の次男の氏照によって築かれ始める。

後北条氏の支城の中では最大規模の山城である。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東制圧(小田原攻め)により

激戦の場となった八王子城はわずか1日で落城した。

百名城解説より

 

氏照正室、比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。

Wikipedia

 

ということです。

この滝見ました。

写真を撮らなかったのですが

その時滝に下りる階段を

愛犬2匹のうち1匹が

下りるのを断固拒否。

率先してついてくる子がですよ。

 

なだめすかしてもダメで。

なんか嫌な予感がして

下まで降りるのをやめました。

 

下まで降りなくても滝は見えますので

そこからちょっと見たって感じですかね。

 

そしたら心霊スポットで有名って聞いて

なんかいなければいいけれど・・・

と、変な心配してました。

 

橋もあります

 

そんなドキドキを味わいながらの八王子城

こんな感じで橋が架かっています。

曳橋

これは復元です。

 

と、こんな2枚しか撮っていない八王子城ですが

記憶にはとっても残っています。

 

先に山を登った後に見たので

夕方ぐらいになってしまい

余計雰囲気があって

ちょっと怖かったです。

 

日中に行けば何ともない

城跡ですので、

そんな雰囲気も感じてみるのもいいかもしれません。

 

一日で2か所まわれる足利氏館と金山城

足利氏館 12城目 金山城 13城目

 

一気に2か所行けます。

 

これは2014年5月の話です。

 

今回は見どころが少ないのと

規模が小さいので

1日に2か所いきました。

それが、足利氏館と金山城です。

 

足利氏館はお寺です。

 

やって来ました足利氏館

って、お寺。

立派なお寺です。

 鑁阿寺

 鑁阿寺(ばんなじ)ですが、

元が足利氏館で、周りは堀がめぐらされています。

 鑁阿寺

しかし、見るところはこれぐらい。

後は外側の堀と土塁を見てください。

早い。とっても早く終わります。

 

足利氏館とは

 

足利氏は鎌倉幕府の有力御家人で

尊氏の時に室町幕府を開いたそうです。

 

水堀と土塁に囲まれた方形の館跡は

鎌倉時代の地方武士の館の姿を

今に伝える貴重な遺構だそうです。

 

隣の群馬県に移動です

 

足利氏館をさらりと見て

お隣の県に移動です。

 

そしてやって来ました金山城

山登りです。山城なので。

 

復元されているので

綺麗に整備されています。

大手虎口

石垣の上部は復元ですが

下の部分は当時の石垣が見られるそうです。

 

物見台下虎口です。

こんな感じです。

 

金山城とは

 

金山城とは標高235.8mの金山山頂に

新田氏の一族だった岩松家純が

1469年に築城しました。

 

武田氏や上杉氏、後北条氏などに

攻められたが、そのたびに撃退して

堅城ぶりを証明しました。

 

ということで

2か所まわれるお城でした。

金山城は大手虎口以外

覚えていないので

とくにそんなになかったのかなー

と思っております。

 

川越はぶらぶらするにはいいところです。

川越城 11城目

 

川越城ってどこにあるのよ

 

これは2013年10月の話です。

 

やってきました川越城

ってどこにあるのでしょうか?

小江戸と言われる川越の町は

歩いたことがありますが

城なんてありましたか?

 

そしたら、今は

本丸御殿と富士見櫓台跡、家老詰所

があるくらいです。

 

川越城とは

 

江戸の「大手門」は小田原城

「搦手」は川越城

と言われるくらい

江戸にとっては重要な城で

江戸時代は代々

徳川家の譜代大名が城主となったそうです。

 

本丸御殿は、1848年(嘉永元年)、松平斉典の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつ。

Wikipedia

当時は16棟、1025坪の規模をもっていた。明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっているが、本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見ても貴重な遺構である。

だそうです。

すごいですね1000坪以上あったとは。

本当に今残っているのは

ほんの一部なんですね。

 

見どころはコレだけです。

 

そしてそのみどころがこれ

確かにすごいですよね。

しかし、これで終了です。

中はみた気がします。

 

小江戸をぶらつく

 

その後はもちろん

川越をぶらぶらしましたよ。

本当に街並みを

残してくれているのはありがたいですよね。

美観を整えるってことも

しているそうです。

 

まあ、ここで食べ歩いて

帰ってきました。

 

いやほんとこれしか写真が無いんです。

そして、ぶらぶらしているほうが

時間が長かったです。

 

あの猫で有名な今帰仁城は石垣に形が面白い

今帰仁城 10城目

 

あの動物写真家の岩合光昭さんの番組にもでてました

 

これは2013年6月の話です。

 

やってきました今帰仁城

「岩合光昭の世界ネコ歩き」の番組にも出てきました。

岩合光昭さんの番組は行った後に

見たんですけれども

確かに猫が多かったです。

 

受付のところに猫がいたのが

かわいかったです。

 

今帰仁城は石垣しかありませんがその石垣がおもしろいです

 

そんな今帰仁城ですが

こんな感じです。

こんなに弓なりの形をしているんです。

平郎門

石の感じが中城城と違いますよね。

中城城より荒い感じがします。

 

今帰仁城とは

 

県内最大級の城(グスク)として名高い。複数の城郭により区切られ、本丸的な王邸、城主側近の武士の邸宅跡などが確認できる。

Wikipedia

一番広い城なんですね。

 

14世紀の中国の史書に琉球国山北王「怕尼芝はにじ」「みん」「攀安知はんあんち」の三王が登場します。
この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。
しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。

世界遺産今帰仁城

どのようにわかれていたのか

地図で表してくれています。

世界遺産今帰仁城跡

こんな風に分かれていたようです。

それにしても「グスク」だらけ。

   

そして石垣ばかりなり

 

そしてこんな感じで

石垣が囲んでいます。

石垣好きにはたまらない

崩れた石垣の側面です。

 

という感じでした。

1月中旬から2月にかけて

カンヒザクラが咲くそうです。

猫と石垣とカンヒザクラ

いいかもですね。

 

ということえ、石垣で終わる

沖縄旅行でした。

首里城って意外と階段が多いんですよね。

首里城 9城目

 

首里城は鮮やかできれいです

 

これは2013年6月の話です。

 

やってきました首里城。

守礼門の写真がなく

この写真から始まる感じが

当時の私のやる気の度合いが表れてます。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

確か守礼門は、人が多くてみんなが写真撮っていたので

やめたという、なぞの理由だけは覚えています。

 

歓会門(かんかいもん)

写真の撮り方も雑ですみません。

守礼門撮らないのに

石垣は写真撮っているっていう

謎の美的感覚がありますが

このカーブが良かったようです。

 

瑞泉門(ずいせんもん)

瑞泉門の横の石垣です。

石垣綺麗です。

この石垣の先が出ている

この形が独特ですよね。

面白い。

そして正殿です。

この時は塗りなおししていたんですよね。

これが燃えてしまうとは・・・

 

首里城のつくり

 

日本の他地域の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。

門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴であるが多用された。

Wikipedia

そうなんですよ。

この中国の影響を受けた城が

違う国だったんだな。と思わせ

とても面白いんです。

 

正殿の前には、家臣らが謁見したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられている。

それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となり行政施設も入っていた奉神門が建てられている。

さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっている。

これらの構造には、中国の紫禁城との類似性も指摘されている。

南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていた。

Wikipedia

確かに紫禁城と似ているといわれれば

そうかもしれない造りになっていますよね。

そして和風の意匠が用いられていたんですね。

まったく覚えていませんが・・・

 

本当はもっと見どころありました

 

暑さでやる気がなかったのでしょうか。

思った以上に首里城の写真がない。

Wikipediaを見ると建物の内部とかも

写真が撮れた模様。

 

しかし、最後にケツメイシのジャケット写真の

ところで写真は撮ってきましたよ。

瑞泉門のもっと入り口近くですが

みんなが撮るからでしょうね。

守衛の方が手慣れた感じで

写真撮ってくれました。

 

ええ。夫の希望で。

私、まったくやる気のない顔してました。

 

美ら海は外せませんよね

 

それから、美ら海水族館行きましたよ。

ジンベイザメ見てきましたよ。

はい。こんなに大きいです。

そして、よく見てください。

多くの人がデジカメ持ってる。

時代ですなぁ。

大きいですよね。

演出もいいんです。

通路などはほの暗くして

水槽を明るくしているので

幻想的に見えます。

この水族館は良かったです。

 

 

ということで、

次回は今帰仁城に行きます。

あの「岩合光昭の世界ネコ歩き」に出てきた

今帰仁城ですよ。

確かに猫多かったんです。