海も空気もきれいな太地町からの松阪城

松阪城 7城目

 

太地町はいい街でした

 

これは2013年5月のときの話です。

 

ということでやって来ました太地町

こんなんです。

海が綺麗

空が綺麗

緑が綺麗

空気が綺麗

な太地町です。

とにかく海が綺麗で

ここでたしか

柿の葉寿司を食べました。

のどかな所でした。

クジラも美味しくいただきましたよ。

写真撮ってませんけど。

 

見るところは多くないけど

もう、この海ぼーっと見ているだけでいいです。

 

それぐらい、よかった。

入江だから波も穏やかだしね。

 

松阪城に行きます。

 

そんな太地町を堪能したら

今度は松坂城に行きます。

って石垣しかありませんけど。

これで終了です。

こんなもんです。

 

松阪城とは

 

はい。Wikipedia先生の時間が参りました。

松阪城は

城の縄張りは梯郭式平山城である

Wikipedia

だそうです。

はい。出ました梯郭式。

この真ん中の形ですね。

松坂城の築城前より、伊勢国司北畠家武将・潮田長助が四五百森城を当地に築城していた[4]。さらにさかのぼると、縄文土器が出土していることから、縄文時代後期には人々が居住していたものとみられる[9]。ただし城跡から多く出土するのは弥生土器である

縄文時代から人が

住んでいた土地なんですね。

 

四五百森(よいほのもり)と読むそうです。

 

石垣についてはこう書かれています。

 

安土城の築城に加わった蒲生氏郷だが、松坂城にもこの時の石垣作りが取り入れられている。

石垣のつみ方は「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が使われている。

これらの工法は「穴太衆」と呼ばれる近江国石工集団が、安土城で今までの日本にはなかった新しい築城方法を発案した。

蒲生氏郷は自分の出身地でもある穴太衆を中心に地元の農民をかり出し石垣をくみ上げていった。

石材の多くは近くの河原から集められた石が使われたが、天守台などには古墳に埋葬された石棺の蓋まで使用された。

Wikipedia

あら。

安土城と同じ

石垣のつくり方ってことでしょうか?

角の切込みはぎ、算木積みはこれですね。

 

Wikipediaの写真を見ると

他にも

裏門とか御城番屋敷とか天守台の写真がありますので

そちらをご覧ください。

 

写真の枚数が少ないのは

もうお腹もすいて

やる気がなかったと思われます。

 

確かこの後に

松阪牛を食べました。

 

移動が辛かった旅行

 

この旅行も移動が辛かった。

長かったです。

しかも、犬連れだったので

余計疲れた気がする。

といっても、運転はほとんど夫で

私は犬共々

横でぐうぐう寝てましたが。

 

記録を見ると

山中城から1年経ってからの

松阪城なんですよね。

 

この頃は

ゆっくりペースで

旅行してましたね。

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