沖縄の城のつくり方は本土とは違う

中城城 8城目

 

知っているようで知らなかった沖縄

 

これは2013年6月の話です。

 

やって来ました沖縄。

やっぱりいいですよね。

海も空も綺麗です。

 

そんな中、

城をめぐって行きます。

 

沖縄の城は

琉球王国のグスク及び関連遺産群』として

世界遺産にも登録されています。

 

沖縄は

1609年慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲[注 12]、王国は薩摩藩の支配下におかれた(琉球侵攻)。

薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。

Wikipedia

独特な文化ですが

薩摩藩の支配下に置かれた後も

清国にも属していたんですね。

確か首里城に行ったときに読んだ時に

琉球の人は外交上手なイメージがあります。

小さな国が上手くやっていく

手段だったんでしょうね。

 

その後明治になって

明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置

したそうで

明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を琉球処分と言う。

というそうです。

戦後は米軍軍政下となり

返還され、今に至ります。

とWikipedia先生が教えてくれました。

 

中城は「なかぐすく」と読みます

 

沖縄のお城は

石垣のつくり方が違うんです。

形も違います。

 

これはアーチ門です。

 

中城城とは

 

中城城は連郭式山城である。六つので構成されている。

Wikipedia

はい。連郭式

一番右の形ですね。

 

城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、石垣には野面積み(南の郭)、布積み豆腐積み、一の郭、二の郭)、あいかた積み亀甲乱れ積み、北の郭、三の郭、物見台)が見られ、1853年に来島したペリー提督も『要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった』(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えている。

ペリー提督も絶賛の石垣です。

 

いろいろ場所の名前はついているのですが

 

いろいろ場所があるのですが

不確かなのでそんな感じかと

見てもらえれば・・・

 

これはたぶん三の郭

 

こちらは西の郭ですかね。

 

これも西の郭かな?

という感じです。

石垣しかありませんが

アーチ門がいくつかあり

美しい造りをしています。

石垣も綺麗に積まれていますよね。

 

ということで

次回は燃える前の首里城です。

 

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