江戸城は無料で行ける素敵なスポット

江戸城 22城目

 

江戸城2日目です。

 

これは2015年10月の話です。

 

ということで、やってきました2日目。

2日目ともなれば

もうお堀とか周らなくていいですからね。

すぐに門に向かえます。

 

天気が良くてよかった。

 

次の日も天気に恵まれています。

月見櫓に

これはなに門でしょうか。

ここも初日に撮りました。

これが大手門です。

写真がないですが、この中に入ったところの

石垣もいいですよ。

丁寧な仕事が石の表面に見て取れます。

 

これで写真が終了です。

おかしい。天守の石垣を

撮った気がするのですが

写真がありません。

 

写真がよくなくて

消してしまったのでしょうか・・・

 

天守の石垣は思った以上に

小さく、これ?と思うぐらいでした。

 

ということで、思った以上に

写真がなくてすみません。

 

一番は見に行くことなので

観光がてら見にいってみてください。

とても素敵な公園ですよ。

 

石垣の一番は江戸城ですよね

江戸城 22城目

 

江戸城は意外と広い

 

これは2015年10月の話です。

 

東京で城といえば江戸城ですよね。

そう、オフィスビルが立ち並ぶ奥に

江戸城があります。

皇居といえば

場所もすぐわかるでしょう。

 

あの、ジョギングコースで有名なね。

そこですよ。

 

まずはお堀を一周することからはじまります

 

まずは、縄張りから確認ということで

お堀を一周させられます。

ええ。させられます。

車の時ならいいのですけど

江戸城は電車で行きましたからね。

歩いて確認しましたよ。

おかげで入る前から疲れてます。

 

江戸城とは

 

江戸城は1457年麹町台地の東端に、扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城である。

Wikipedia

この時は湿地が多くあったようです。

こちらの本を読んでいくと

さらに面白いです。

 

1590年徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が、特に慶長期のおよそ10年の間に集中的に行われ、またその後も2度ほど拡張工事が行われ、総構周囲約4[4] と、日本最大の面積の城郭になった

Wikipedia

そうなんですよ。

当たり前なんですけれども

とても広いんです。

 

無料ですからね

 

そんな江戸城ですが

無料です。

こんな素敵なところが無料です。

 

江戸城は幾度にも渡る火災によって焼失し、現存する伏見櫓・富士見櫓・巽櫓なども大正期の関東大震災の際に損壊した後、解体して復元されたものであるため、櫓の構造などを考察するにあたっては、明治初頭に撮影された写真や絵図、指図、文献などが用いられている。

Wikipedia

そんなに火災が何回もあったんですね。

復元ありがたい。

なに門かわかりません。申し訳ない。

しかし、石垣とか素敵です。

これは百人番所です。

 

これは同心番所かな。

 

そして、確か月見櫓だったような・・・

どこだろう?大番所かしら?

 

そして、このバックにビルが見えるのが

なんとなくいい。

 

呑気にしすぎて1日で回れず

 

出る時間が遅かったというのもありますが

見るのに時間がかかる私たちは

1日で江戸城を周り切れず

次の日に持ち越しました。

まだ、大手門の石垣とか見てないし。

ここが一番のみどころだし。

 

ということで、江戸城続きます。

金沢城は石垣も素敵なんです

金沢城 21城目

 

金沢城にきました。

 

これは2015年9月の話です。

 

小京都、金沢に来ました。

この時は着物に特にハマっていたので

着物でいそいそと出かけたことを覚えています。

 

そんな着物で頑張った金沢

下駄で2万歩ほど歩きました。

新品の下駄をぼろぼろにしながら頑張りました。

 

という、自己満足の高い金沢です。

 

金沢城は石垣の見どころいっぱいです

 

金沢城は兼六園もありますし

見どころいっぱいです。

 

この石垣に排水用の穴があります。

これ、他では見られないので

当時の私は興奮して取ったようです。

このように石垣ばかりの地味な写真が続きます。

今回は裏手門から入りました。

裏手門近くの石垣です。

いろいろな形の石をきれいに積んでいます。

金沢城広いんです。

これが橋爪門です。

色々な石をつかっていて見た目も美しいです。

そして、これが六軒長屋です。

 

金沢城とは

 

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である

Wikipedia

はい。出ました梯郭式

この真ん中の形です。

や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。

 

金沢の地名は室町時代の文明年間には既に存在していたことが知られている[3]が、尾山御坊時代は金沢の小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあったことから尾山の呼称が使われていた。

佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。

だが、金沢の地名が広く知られていたために尾山城の名前は普及せず(豊臣政権の公文書でもほとんど用いられていない)、利家自身も再び金沢の城名を用い始めたと推測されている

豊臣政権時代は「尾山城」だったんですね。

 

石垣がつづくよどこまでも

 

これは年代が違う石垣が隣り合せになってます。

違いがよくわかって面白いですよね。

この石垣も違う形を

綺麗に積んでいますよね。

 

兼六園も行きましたよ

 

もちろん、兼六園もいきました。

置物かとおもったら

サギがいました。

ポーズを変えて置物じゃないアピール

 

金沢といえばのどぐろ

 

城を見た後は

のどぐろを堪能しました。

 

脂がのっていて美味しいですよね。

金沢は日帰りでしたので

呑気にしすぎて

最終の新幹線に乗りおくれるところでした。

 

着物で走りましたよ。

今回は、疲れすぎたために

大手門の石垣は見ませんでした。

大手門は次来た時にリベンジです。

 

小田原城って難攻不落のお城でしたの?

小田原城 20城目

 

あの小田原城に来ました

 

これは2015年5月の話です。

 

やってきました小田原城

小田原城は良く覚えています。

小田原城の着く前までのことを。

 

ええ、あれは忘れられない出来事でした。

その時2匹の犬を飼っていたので

犬も連れて小田原城に行くことに。

 

城に着くまでの事件

 

いつもはマメにおトイレタイム作るんです。

犬のために。

しかし、もうすぐ小田原城だからって

おトイレタイムなしで

1時間ほど走ると

1匹がキュンキュン鳴きだすではありませか。

 

すぐわかりましたよ。

これはやばい。トイレだ。

 

しかし、そういう時に限って

夫は道を間違う。

 

まずはお昼食べる予定だった漁港に着いて

間に合ったーと思って

駐車するためにバックしているときに

我慢し切れなかったその子は

私の膝の上で

下痢をしてしまい。

私と車は大惨事になりました。

 

とにかくよかったのは公衆便所が近くにあったこと

重ね着していたので上のTシャツ脱ぐだけで

どうにかなったことでしょうか。

 

我慢させて申し訳なかった・・・

とてもきれい好きな子だったので

しょぼんとしているのが

かわいそうでした。

 

ここまでされると人って開き直るみたいで

うわー・・・とは思いましたが

ささっと服を脱ぎ、犬を拭き

車内をきれいにしてと

テキパキと動ける。

犬用のトイレットペーパー、ウエットティッシュは常備してますから

拭く物には困らないんです。

 

小田原城に行く前に

気力を使い切った感じでした。 

そんな小田原城の始まりです。

 

歴史で聞くけどどんな城かは知らなかった

 

歴史ではでてくるので名前はしっていましたが

どんな造りをしているのかとか

規模がどれくらいとか全く知りませんでした。 

 

 

小田原城とは

 

3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信武田信玄の攻撃に耐えた。

江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。

八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートル土塁空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた

Wikipedia

主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城である。

佐倉城川越城などのように、土塁のみの城の多い関東地方においては特殊と言え、関東の入口としての小田原城の重要性が伺える。

なお、現在のような総石垣の城になったのは寛永9年(1632年)に始められた大改修後のことである。

なるほど、中世と近世城郭が一緒になっているんですね。

 

石垣メインの偏った写真をご覧ください。

 

石垣を結構撮ってました。

門の写真も石垣中心で全体像を映していません・・・

これは石垣に合わせて

柱を削っているんです。

すごいですよね。

そして、やっと全体像です。

綺麗なお城でした。

 

犬の粗相と暑さで

いろいろやられていましたが

かっこいいお城だったことは覚えています。

 

水戸城は門が立派です。

水戸城 19城目

 

水戸と言えば水戸納豆

 

これは2015年3月の話です。

 

水戸に来たら食べなきゃいけない水戸納豆

ということで

当時B級グルメと言われた(今はどうだか知らない)

水戸納豆とんかつ食べてきました。

意外と合います。

思った以上に美味しいです。

 

というとんかつを堪能してから

水戸城跡に行ってきました。

 

薬医門を見るときはちょっと躊躇します。

 

本丸があったところに

県立水戸第一高校が建っていますので

その敷地に入って薬医門が見れるのですが

勝手に入っていいのか

一瞬躊躇します。

ここは見学してもいいところなので

大丈夫です。

旧二の丸とかは

外から見るしかありません。

勝手に入ってはいけないので注意が必要です。

 

といっても、見学可とはいえ

なんだが不法侵入しているような気分。

 

水戸城とは

  

水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城である。

Wikipedia

はい。でました連郭式

この左側の形ですね。

 

水戸徳川家は参勤交代を行わない江戸定府大名であったため、水戸城が藩主の居城として使われることは少なく、城内の建築物は質素であった。

Wikipedia

そうなんですね。

そう、あの有名な水戸黄門はここの水戸藩主の徳川光圀の話です。

 

外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と称す大型の櫓があり天守閣の代用とされた。

御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、以後再建されていない。

Wikipedia

櫓があったんですが、焼失してしまったんですね。

 

2020年に大手門が復元されたそうです。

水戸城は入れないところが多く

見どころが少ないので

大手門の復元はいいですよね。

 

水戸城跡は見どころが少ない

 

はい。水戸城跡は見どころが少ないです。

すぐ終わります。

なので、納豆とんかつでも食べてってください。

 

跡地に小学校などが建っているため

部外者立ち入り禁止。

中が見たいとウロウロしていると

変質者扱いされるのではないかという

ドキドキ感は楽しめます。

 

伊賀上野城の石垣はみておいた方がいい

伊賀上野城 18城目

 

一押しの石垣

 

これは2015年1月の話です。

 

京都の帰り道に寄りましたよ

伊賀上野城

私が一番好きな石垣です。

 

あの築城の名手と言われた

藤堂高虎が造った城ですよ。

 

「家康江戸を建てる」

この本の中で藤堂高虎は

嫌な人と描写されていますが

とにかく石垣が素晴らしいので

もう、人柄はどうでもいいです。

 

まっすぐなラインがすごいんですよ

 

見てくださいこのまっすぐな石垣

約30mあるんですよ。

伊賀上野城の石垣の美しさは

このエッジの部分の算木積み

これがとてもいい。

天守もありますよ。

しかし、やはり見どころは

石垣ですので、行ったときはじっくり見てください。

 

伊賀上野城とは

 

伊賀上野城は筒井定次が天正13年(1585年)に築いたのに始まる。

この時三重の天守が建てられた。

さらに慶長13年(1608年)伊予から入封した築城の名手藤堂高虎が徳川家康の命を受けて大改修する。

石垣や水堀を設け、城地を3倍にし、当時大阪城にいた豊臣秀頼に備えようとした。

百名城解説より

未完成に終わっているそうです。

 

今ある天守は昭和10年に個人の私財により木造で模擬天守が建てられたそうです。

すごいですね。

 

一番の見どころは地味な場所から

 

伊賀上野城の隣は高校になっているのですが、

その高校との間の道から見る石垣が

一番いいのではないかと思います。

 

下から見上げられる場所が

そこぐらいしかない気がします。

 

石垣は上からだけでなく

下からも見てほしい。

 

写真が無いのは

たしか電線とか何か障害物があり

写真映えはしなかったので

撮るの止めた気がします。

目に焼き付けてください。