小田原城って難攻不落のお城でしたの?

小田原城 20城目

 

あの小田原城に来ました

 

これは2015年5月の話です。

 

やってきました小田原城

小田原城は良く覚えています。

小田原城の着く前までのことを。

 

ええ、あれは忘れられない出来事でした。

その時2匹の犬を飼っていたので

犬も連れて小田原城に行くことに。

 

城に着くまでの事件

 

いつもはマメにおトイレタイム作るんです。

犬のために。

しかし、もうすぐ小田原城だからって

おトイレタイムなしで

1時間ほど走ると

1匹がキュンキュン鳴きだすではありませか。

 

すぐわかりましたよ。

これはやばい。トイレだ。

 

しかし、そういう時に限って

夫は道を間違う。

 

まずはお昼食べる予定だった漁港に着いて

間に合ったーと思って

駐車するためにバックしているときに

我慢し切れなかったその子は

私の膝の上で

下痢をしてしまい。

私と車は大惨事になりました。

 

とにかくよかったのは公衆便所が近くにあったこと

重ね着していたので上のTシャツ脱ぐだけで

どうにかなったことでしょうか。

 

我慢させて申し訳なかった・・・

とてもきれい好きな子だったので

しょぼんとしているのが

かわいそうでした。

 

ここまでされると人って開き直るみたいで

うわー・・・とは思いましたが

ささっと服を脱ぎ、犬を拭き

車内をきれいにしてと

テキパキと動ける。

犬用のトイレットペーパー、ウエットティッシュは常備してますから

拭く物には困らないんです。

 

小田原城に行く前に

気力を使い切った感じでした。 

そんな小田原城の始まりです。

 

歴史で聞くけどどんな城かは知らなかった

 

歴史ではでてくるので名前はしっていましたが

どんな造りをしているのかとか

規模がどれくらいとか全く知りませんでした。 

 

 

小田原城とは

 

3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信武田信玄の攻撃に耐えた。

江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。

八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートル土塁空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた

Wikipedia

主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城である。

佐倉城川越城などのように、土塁のみの城の多い関東地方においては特殊と言え、関東の入口としての小田原城の重要性が伺える。

なお、現在のような総石垣の城になったのは寛永9年(1632年)に始められた大改修後のことである。

なるほど、中世と近世城郭が一緒になっているんですね。

 

石垣メインの偏った写真をご覧ください。

 

石垣を結構撮ってました。

門の写真も石垣中心で全体像を映していません・・・

これは石垣に合わせて

柱を削っているんです。

すごいですよね。

そして、やっと全体像です。

綺麗なお城でした。

 

犬の粗相と暑さで

いろいろやられていましたが

かっこいいお城だったことは覚えています。

 

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