関東から四国へは飛行機が楽

このゴールデンウイークは四国の愛媛に行ってきました。

いい季節でしたが、人が多くて多くて、大変でした。

コロナになってからの久しぶりの混雑ぶりです。

でも、やはり旅行は楽しいですよね。

四国はお遍路さんが有名ですが、鯛めしも、道後温泉も、お城も有名です。

四国にはお城がたくさんありますからね。



なぜか岡山経由で四国入り

岡山大好き夫がですね、四国行くなら新幹線で岡山まで行って、一泊してから四国入りしたい。というので、新幹線で岡山へ。

移動のお供に、岡山も関係がある山口組のノンフィクション作品「喰うか喰われるか」を読みながら向かいました。

喰うか喰われるか 私の山口組体験

3度目の岡山。

もう、岡山駅周辺は慣れました。

しかし、初めて岡山に来たのは、皆様がまだ自粛をしていたころ。

閑散としてました。

ところが、今回は人が多いこと。本来の岡山を見た気がします。

そう、活気のある岡山。店もたくさん開いています。

岡山県民に岡山の良さを熱弁

結局、お気に入りのお店には入れませんでしたけど、ほかにもおいしいお店を発見して、楽しい岡山の夜です。

2件目に入ったおでん屋さんで岡山県民の人とお話できました。

しかし、毎回思うのが岡山の人は岡山の良さをあまりわかっていない。

岡山は野菜も肉も魚もおいしいのはもちろん、食文化が高い。おいしいお店が多いんです。

人口もちょうどいいい。東京や大阪ほど多すぎず、でも街が発展するぐらいには人がいる。

なんてことを夫と二人で岡山の人に力説。

当たり前ですけど、自分の住んでいるところを褒められるのってうれしいんですね。皆さんうれしそうな顔をします。

こういうのは、いろいろなところ旅行しているから、気づけることかもしれません。

福山から今治に行くしまなみ海道を走るバスには乗ってはいけない

まずはレンタカーを借りるために今治へ向かいます。

岡山から今治に向かうには2つの方法があります。

電車で行くか、バスで行くかです。

乗換案内で調べると、電車もバスも金額は同じ。

しかし、バスのほうが少し時間が短いようです。しかも、あのしまなみ海道を通るルートです。

電車で福山まで行って、そこからバスに乗り換える必要があります。

少し面倒でしたが、これも旅行の面白さだと思い、バスに行くことにしました。

混雑時の新幹線は遅れることがある

しかし、ゴールデンウイーク中の新幹線は要注意です。

在来線が遅れているため、乗り継ぎの人を待つために新幹線の出発が5分遅れ。

バスの乗り換えギリギリの時間の電車だったので、福山駅に着いて急いでバスターミナルに行くも、どのバスかわからない。

チケットセンターで聞いたりしていたら、乗りたかったバスが走り去っていく姿が見えました。次のバスは1時間後。新幹線は在来線を待つが、バスは待ってはくれません。

レンタカー屋さんに1時間遅れることを連絡。

仕方がないので、駅中でパクつくものを探しに行きました。

駅中をうろつけば1時間なんてあっという間で、次のバスには無事に乗れたのはよかったのですが、これまた大変でした。

この3年ほどで、渋滞というものを忘れていました。

そう。ゴールデンウイークです。そりゃ渋滞します。

しまなみ海道なんて景色がいいんですもの、特にかもしれません。

半分ぐらい過ぎたところで、1時間遅れ決定。

結局今治に着いたのは予定より2時間ほど遅れました。

景色は最高なので、瀬戸内海をゆっくり見たい人には最高ですが、時間通りにつかなくてはいけない時には使用するのはおすすめしません。

しかも、トイレもトイレ休憩もありませんので、要注意です。

飛行機をおすすめする

ま、そもそも飛行機でくればこの苦労もなかったのではないか?という疑問もありますが、まあ、不便や思い通りにいかないのが旅行って感じでいいですよね。



関東から四国は、飛行機のほうが楽ですので、飛行機をお勧めします。飛行機の予約はこのエアトリは使いやすかったです。

北海道行くときとかに何回か使用しました。

ただ、格安チケットはもし遅れたら、チケット買いなおししなくてはいけないので要注意です。

私は一度、時間を間違えて、飛行機の出発時間にちょうど羽田空港に着くように設定していたことがありました。もちろん。予約していた飛行機に乗れませんでした。

しかし、しかーしですよ。その時とっていたチケットがANAだったので、次の便に乗ることができました。追加料金なしで!!ANA最高!

JALとANAはその保険がききます。私のようにうっかりさんはJALやANAで安心を買ってもいいかもしれません。



次回、やっと今治城です。海城です。

江戸城は無料で行ける素敵なスポット

江戸城 22城目

 

江戸城2日目です。

 

これは2015年10月の話です。

 

ということで、やってきました2日目。

2日目ともなれば

もうお堀とか周らなくていいですからね。

すぐに門に向かえます。

 

天気が良くてよかった。

 

次の日も天気に恵まれています。

月見櫓に

これはなに門でしょうか。

ここも初日に撮りました。

これが大手門です。

写真がないですが、この中に入ったところの

石垣もいいですよ。

丁寧な仕事が石の表面に見て取れます。

 

これで写真が終了です。

おかしい。天守の石垣を

撮った気がするのですが

写真がありません。

 

写真がよくなくて

消してしまったのでしょうか・・・

 

天守の石垣は思った以上に

小さく、これ?と思うぐらいでした。

 

ということで、思った以上に

写真がなくてすみません。

 

一番は見に行くことなので

観光がてら見にいってみてください。

とても素敵な公園ですよ。

 

石垣の一番は江戸城ですよね

江戸城 22城目

 

江戸城は意外と広い

 

これは2015年10月の話です。

 

東京で城といえば江戸城ですよね。

そう、オフィスビルが立ち並ぶ奥に

江戸城があります。

皇居といえば

場所もすぐわかるでしょう。

 

あの、ジョギングコースで有名なね。

そこですよ。

 

まずはお堀を一周することからはじまります

 

まずは、縄張りから確認ということで

お堀を一周させられます。

ええ。させられます。

車の時ならいいのですけど

江戸城は電車で行きましたからね。

歩いて確認しましたよ。

おかげで入る前から疲れてます。

 

江戸城とは

 

江戸城は1457年麹町台地の東端に、扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城である。

Wikipedia

この時は湿地が多くあったようです。

こちらの本を読んでいくと

さらに面白いです。

 

1590年徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が、特に慶長期のおよそ10年の間に集中的に行われ、またその後も2度ほど拡張工事が行われ、総構周囲約4[4] と、日本最大の面積の城郭になった

Wikipedia

そうなんですよ。

当たり前なんですけれども

とても広いんです。

 

無料ですからね

 

そんな江戸城ですが

無料です。

こんな素敵なところが無料です。

 

江戸城は幾度にも渡る火災によって焼失し、現存する伏見櫓・富士見櫓・巽櫓なども大正期の関東大震災の際に損壊した後、解体して復元されたものであるため、櫓の構造などを考察するにあたっては、明治初頭に撮影された写真や絵図、指図、文献などが用いられている。

Wikipedia

そんなに火災が何回もあったんですね。

復元ありがたい。

なに門かわかりません。申し訳ない。

しかし、石垣とか素敵です。

これは百人番所です。

 

これは同心番所かな。

 

そして、確か月見櫓だったような・・・

どこだろう?大番所かしら?

 

そして、このバックにビルが見えるのが

なんとなくいい。

 

呑気にしすぎて1日で回れず

 

出る時間が遅かったというのもありますが

見るのに時間がかかる私たちは

1日で江戸城を周り切れず

次の日に持ち越しました。

まだ、大手門の石垣とか見てないし。

ここが一番のみどころだし。

 

ということで、江戸城続きます。

金沢城は石垣も素敵なんです

金沢城 21城目

 

金沢城にきました。

 

これは2015年9月の話です。

 

小京都、金沢に来ました。

この時は着物に特にハマっていたので

着物でいそいそと出かけたことを覚えています。

 

そんな着物で頑張った金沢

下駄で2万歩ほど歩きました。

新品の下駄をぼろぼろにしながら頑張りました。

 

という、自己満足の高い金沢です。

 

金沢城は石垣の見どころいっぱいです

 

金沢城は兼六園もありますし

見どころいっぱいです。

 

この石垣に排水用の穴があります。

これ、他では見られないので

当時の私は興奮して取ったようです。

このように石垣ばかりの地味な写真が続きます。

今回は裏手門から入りました。

裏手門近くの石垣です。

いろいろな形の石をきれいに積んでいます。

金沢城広いんです。

これが橋爪門です。

色々な石をつかっていて見た目も美しいです。

そして、これが六軒長屋です。

 

金沢城とは

 

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である

Wikipedia

はい。出ました梯郭式

この真ん中の形です。

や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。

 

金沢の地名は室町時代の文明年間には既に存在していたことが知られている[3]が、尾山御坊時代は金沢の小立野台地の先端すなわち山尾(尾山)にあったことから尾山の呼称が使われていた。

佐久間盛政が新城を築いた時に一向一揆の印象が強い尾山ではなく金沢を城名に用いたが、前田利家が入城すると羽柴秀吉(豊臣政権)に敵対して滅ぼされた盛政命名の金沢城ではなく自身の出身地の尾張国にも通じる尾山を採用した。

だが、金沢の地名が広く知られていたために尾山城の名前は普及せず(豊臣政権の公文書でもほとんど用いられていない)、利家自身も再び金沢の城名を用い始めたと推測されている

豊臣政権時代は「尾山城」だったんですね。

 

石垣がつづくよどこまでも

 

これは年代が違う石垣が隣り合せになってます。

違いがよくわかって面白いですよね。

この石垣も違う形を

綺麗に積んでいますよね。

 

兼六園も行きましたよ

 

もちろん、兼六園もいきました。

置物かとおもったら

サギがいました。

ポーズを変えて置物じゃないアピール

 

金沢といえばのどぐろ

 

城を見た後は

のどぐろを堪能しました。

 

脂がのっていて美味しいですよね。

金沢は日帰りでしたので

呑気にしすぎて

最終の新幹線に乗りおくれるところでした。

 

着物で走りましたよ。

今回は、疲れすぎたために

大手門の石垣は見ませんでした。

大手門は次来た時にリベンジです。

 

小田原城って難攻不落のお城でしたの?

小田原城 20城目

 

あの小田原城に来ました

 

これは2015年5月の話です。

 

やってきました小田原城

小田原城は良く覚えています。

小田原城の着く前までのことを。

 

ええ、あれは忘れられない出来事でした。

その時2匹の犬を飼っていたので

犬も連れて小田原城に行くことに。

 

城に着くまでの事件

 

いつもはマメにおトイレタイム作るんです。

犬のために。

しかし、もうすぐ小田原城だからって

おトイレタイムなしで

1時間ほど走ると

1匹がキュンキュン鳴きだすではありませか。

 

すぐわかりましたよ。

これはやばい。トイレだ。

 

しかし、そういう時に限って

夫は道を間違う。

 

まずはお昼食べる予定だった漁港に着いて

間に合ったーと思って

駐車するためにバックしているときに

我慢し切れなかったその子は

私の膝の上で

下痢をしてしまい。

私と車は大惨事になりました。

 

とにかくよかったのは公衆便所が近くにあったこと

重ね着していたので上のTシャツ脱ぐだけで

どうにかなったことでしょうか。

 

我慢させて申し訳なかった・・・

とてもきれい好きな子だったので

しょぼんとしているのが

かわいそうでした。

 

ここまでされると人って開き直るみたいで

うわー・・・とは思いましたが

ささっと服を脱ぎ、犬を拭き

車内をきれいにしてと

テキパキと動ける。

犬用のトイレットペーパー、ウエットティッシュは常備してますから

拭く物には困らないんです。

 

小田原城に行く前に

気力を使い切った感じでした。 

そんな小田原城の始まりです。

 

歴史で聞くけどどんな城かは知らなかった

 

歴史ではでてくるので名前はしっていましたが

どんな造りをしているのかとか

規模がどれくらいとか全く知りませんでした。 

 

 

小田原城とは

 

3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信武田信玄の攻撃に耐えた。

江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭である。

八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートル土塁空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた

Wikipedia

主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城である。

佐倉城川越城などのように、土塁のみの城の多い関東地方においては特殊と言え、関東の入口としての小田原城の重要性が伺える。

なお、現在のような総石垣の城になったのは寛永9年(1632年)に始められた大改修後のことである。

なるほど、中世と近世城郭が一緒になっているんですね。

 

石垣メインの偏った写真をご覧ください。

 

石垣を結構撮ってました。

門の写真も石垣中心で全体像を映していません・・・

これは石垣に合わせて

柱を削っているんです。

すごいですよね。

そして、やっと全体像です。

綺麗なお城でした。

 

犬の粗相と暑さで

いろいろやられていましたが

かっこいいお城だったことは覚えています。

 

水戸城は門が立派です。

水戸城 19城目

 

水戸と言えば水戸納豆

 

これは2015年3月の話です。

 

水戸に来たら食べなきゃいけない水戸納豆

ということで

当時B級グルメと言われた(今はどうだか知らない)

水戸納豆とんかつ食べてきました。

意外と合います。

思った以上に美味しいです。

 

というとんかつを堪能してから

水戸城跡に行ってきました。

 

薬医門を見るときはちょっと躊躇します。

 

本丸があったところに

県立水戸第一高校が建っていますので

その敷地に入って薬医門が見れるのですが

勝手に入っていいのか

一瞬躊躇します。

ここは見学してもいいところなので

大丈夫です。

旧二の丸とかは

外から見るしかありません。

勝手に入ってはいけないので注意が必要です。

 

といっても、見学可とはいえ

なんだが不法侵入しているような気分。

 

水戸城とは

  

水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された連郭式平山城である。

Wikipedia

はい。でました連郭式

この左側の形ですね。

 

水戸徳川家は参勤交代を行わない江戸定府大名であったため、水戸城が藩主の居城として使われることは少なく、城内の建築物は質素であった。

Wikipedia

そうなんですね。

そう、あの有名な水戸黄門はここの水戸藩主の徳川光圀の話です。

 

外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と称す大型の櫓があり天守閣の代用とされた。

御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、以後再建されていない。

Wikipedia

櫓があったんですが、焼失してしまったんですね。

 

2020年に大手門が復元されたそうです。

水戸城は入れないところが多く

見どころが少ないので

大手門の復元はいいですよね。

 

水戸城跡は見どころが少ない

 

はい。水戸城跡は見どころが少ないです。

すぐ終わります。

なので、納豆とんかつでも食べてってください。

 

跡地に小学校などが建っているため

部外者立ち入り禁止。

中が見たいとウロウロしていると

変質者扱いされるのではないかという

ドキドキ感は楽しめます。

 

伊賀上野城の石垣はみておいた方がいい

伊賀上野城 18城目

 

一押しの石垣

 

これは2015年1月の話です。

 

京都の帰り道に寄りましたよ

伊賀上野城

私が一番好きな石垣です。

 

あの築城の名手と言われた

藤堂高虎が造った城ですよ。

 

「家康江戸を建てる」

この本の中で藤堂高虎は

嫌な人と描写されていますが

とにかく石垣が素晴らしいので

もう、人柄はどうでもいいです。

 

まっすぐなラインがすごいんですよ

 

見てくださいこのまっすぐな石垣

約30mあるんですよ。

伊賀上野城の石垣の美しさは

このエッジの部分の算木積み

これがとてもいい。

天守もありますよ。

しかし、やはり見どころは

石垣ですので、行ったときはじっくり見てください。

 

伊賀上野城とは

 

伊賀上野城は筒井定次が天正13年(1585年)に築いたのに始まる。

この時三重の天守が建てられた。

さらに慶長13年(1608年)伊予から入封した築城の名手藤堂高虎が徳川家康の命を受けて大改修する。

石垣や水堀を設け、城地を3倍にし、当時大阪城にいた豊臣秀頼に備えようとした。

百名城解説より

未完成に終わっているそうです。

 

今ある天守は昭和10年に個人の私財により木造で模擬天守が建てられたそうです。

すごいですね。

 

一番の見どころは地味な場所から

 

伊賀上野城の隣は高校になっているのですが、

その高校との間の道から見る石垣が

一番いいのではないかと思います。

 

下から見上げられる場所が

そこぐらいしかない気がします。

 

石垣は上からだけでなく

下からも見てほしい。

 

写真が無いのは

たしか電線とか何か障害物があり

写真映えはしなかったので

撮るの止めた気がします。

目に焼き付けてください。

 

二条城の床を鳴らしに行こう

二条城 17城目

 

二条城にキターーーーーー

これは2015年1月の話です。

 

やって来ました。二条城。

この二条城が好きな人も多いはず。

床を鳴らしたい人多いはずです。

 

いやー、造りが素晴らしいですよね。

中を見る前からテンションが上がります。

 

ほらもう門の屋根とかすごいですよね。

 

二条城とは

 

二条城は、徳川家康が慶長6年(1601年)、京都における儀礼施設として築城に着手したそうです。

徳川家康将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの場所でもある。

Wikipedia

そうなんですね。

 

二条城をどんどん見ていこう

 

たしか、当時は中の撮影禁止だったような気がします。

今はどうかわかりませんが。

なので、外側を撮りまくってます。

外から見ても渋い。

庭園からもいい眺めです。

これが車寄せだったかな。

 

城の外からも楽しめます

 

二条城来て、石垣写している人ほとんどいなのではないでしょうか・・・

いろいろな門があります。

二の丸東南隅櫓かな。

そして、外側から見た門

 

ということで、京都来たら見ておきたい

見どころトップ3には入るんじゃなかろうか

と勝手に思っている二条城でした。

 

もう、説明はいりませんよね。

とにかく行ってください。

二条城は何回行っても楽しいです。

 

京都で会席料理食べてきました。

 

京都の嵐山の方にある懐石料理「錦」

こんな素敵なところで

食べてきましたよ。

こんな感じの素敵なお料理がでてきます。

1月に行ったのでお正月らしい感じです。

どれもおいしゅうございました。

もう一度行きたいお店「錦」

お上品なお店でした。

 

京都に行くついでに掛川城に行こう

掛川城 18城目

 

久しぶりに建物がある城ですよ

 

これは2015年1月の話です。

 

そうだ。京都へ行こう。

と思い立ち

だったら行くついでに

掛川城も寄ろう

ということらしいです。

 

関東から大阪までは車で行く

という夫ルールがあるらしく

京都も車で行ってきました。

 

掛川城は天守が木造再建

という素晴らしいところです。

やはり、木造で再建するのって

いいですよね。

お金かかってますよね。

 

天守があるとちがいますよね

 

そんな天守がある掛川城

やはり見ごたえがありますよね。

 

これは油山寺に移築された二の門です。

すてきですよね。

 

って、これしか写真がないのですが。

 

掛川城とは

 

最初の掛川城は古城と呼ばれ、戦国時代に駿河守護の今川氏親が朝比奈泰煕に命じて現在の掛川城の北東の小高い丘の上に築かせた。

一時徳川家康が支配していたが、天正18年(1590年)山内一豊が入り近世城郭へと大改築の工事を始めた。

百名城解説より

 

ということらしいです。

1861年に二の丸御殿が再建されているそうで

それは重要文化財に指定されているそうです。

 

その二の丸御殿の写真が

なぜかない。

 

太鼓櫓も現存で重要文化財になってます。

みなさんはそこはしっかりと

見てきてくださいね。

 

 

冬の京都は楽しみだ

 

じつはほとんど記憶がない掛川城

その後の京都の記憶のみ残っております。

 

しかし、今から見ると

小ぶりの良い天守ですよね。

お寺に移築された門も素敵です。

 

そして、この後京都いきます。

京都はいつ行っても楽しいですよね。

 

箕輪城は上級者向け。からの富岡製糸場

箕輪城 15城目

 

箕輪城の見どころが探せない

 

これは2014年10月の話です。

 

やって来ました箕輪城

って、まったく聞いたことがありませんでしたが

群馬県にありますよ。

 

大堀切や土塁、石垣も残っていたようです。

はい。見事に覚えておらず

見たのかなーー?見てないのかなー?

って感じでした。

 

しかも写真がこれだけ

これしか撮っておりません。

 

これしか撮るとこないよ。

と思わせるぐらい

見どころは隠れております。

初心者には見つけにくいです。

石垣もあったはずです。

みなさんは探してみてください。

 

箕輪城とは

 

箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘梯郭式曲輪が配された平山城である。

Wikipedia

はいでました。梯郭式。

これの真ん中の形ですね。

 

箕輪城の創築については諸説あるが、戦国時代初期に長野氏によって築かれ、のちに武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の城となった。

この地は相模の後北条氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏が侵攻をくり返すところであった。

天正18年(1590年)徳川家康から箕輪城を与えられた井伊直政が、城を近世城郭に改築したと伝えられている。

百名城解説より

ということで

結構重要な場所だったようで

城主も代わっています。

なのに今は何にもない。

いやあるけど、ないです。

 

富岡製糸場に行きました

 

その後に富岡製糸場に行ったのですが

特に興味がなかったのは

歴史を知らなかったからです。

 

しかし、建物はすごくよかった。

富岡製糸場。

近くの駐車場を探すのが

意外と大変でした。

 

こんなに大きい建物です。

 

富岡製糸場とは

 

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な機械製糸[注釈 1]の工場である。

1872年明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。

日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。

6月21日に日本の近代化遺産で初の世界遺産リスト登録物件となった。

Wikipedia

はい。夫大好き、世界遺産なので来ました。

 

富岡製糸場が世界遺産になれた理由

 

富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。

そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。

1893年に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能した。

第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、操業停止後も片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、繰糸所を始めとする開業当初の木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている。

Wikipedia

 

そう。ここ重要です。

片倉工業が保存に尽力したこともあって・・・

とあります。片倉工業ありがとう!

おかげで素敵な建物が私も見れているわけです。

 

歴史は長いので興味がある方はWikipediaで読んでください。

 

造りが面白いのです

 

小屋組は木造のキングポストトラスである

らしいです。

これのことかな。

窓ガラスはおフランスからの輸入品ですし

機械もおフランス製

ものすごくお金がかかっている

施設です。

 

機械が並んでいるのも

圧巻でした。

 

いやー、乗り気じゃなかったけど

行ってよかった。

 

帰りは、近くのおでん屋さんで

卵焼きを買って食べたのが美味しかったです。

 

城よりも富岡製糸場のほうが

記憶に残った日でした。