彦根城と言ったらひこにゃん

彦根城とひこにゃん

天守閣まで見たら、ひこにゃん待ち

天守閣も見て、あとはひこにゃんが来る時間まで暇つぶしです。

ひこにゃんは人気者なので

スケジュールが決まっています。

 

よくあるお城のゆるキャラのように

ふらふら暇そうにしていません。

 

ということで、その時間つぶしに丁度良かったのが

こちら

何にもないところ

山崎曲輪跡です。

いい広場です。

ここで一息です。

 

やっとひこにゃんに会えます

 

そろそろ時間が近づいてきたので

天守前でひこにゃん待ちをします。

 

その日は学生さんが来ていたので

まあまあ、人数いました。

しかし、一般のお客様のなんと質のいいことでしょう

案内のお姉さん(自称)の指示のもと

静かにひこにゃんを待ちます。

 

人気者は静かに登場

 

そして、やっとひこにゃんが登場

礼儀正しいひこにゃんは

学生さんに深々とお辞儀します。

 

そして、こちらにも丁寧なあいさつ。

 

なんでしょうか、ふなっしーを見過ぎてたのでしょうか?

こんなに慎ましいゆるキャラがいたでしょうか。

 

手の振り方もお上品です。

 

そして、あまり騒がない

お上品なお客様たちです。

 

その後も、ポーズを欠かさないひこにゃん。

これを1日3回いろいろな場所でやるのですから

大変なお仕事です。

 

ひこにゃんは招き猫だそうで

アザラシではないよと説明していました。

自称お姉さんが。

 

 

そんなひこにゃんを見た後は

まだ、終わりません。

今度は庭園巡りが待っています。

 

下りていく時も石垣見ながらが楽しいのです。

こんな素敵な石垣を見ながら

坂道を下りていきます。

連なっているいる石垣がいい。

ここは、出口のところの

お濠と石垣。

素敵な組み合わせが取れる場所です。

 

楽々園と玄宮園

 

彦根城はまだまだ見るところがあります。

まずは楽々園です。

 

現在、楽々園と呼んでいる範囲は延宝5年(1677)に4代直興によって造営されたと伝わる下屋敷の範囲であり、江戸時代には「槻御殿」などの名前で呼ばれていました。この槻御殿は下屋敷であると同時に「隠居所」としても使用され、13代直弼は隠居していた11代直中の子としてこの槻御殿で産声をあげています。

国宝 彦根城

 

こんな建物や

このような建物があります。

この時は丁度

庭師さんが松の剪定をしていました。

手間をかけて、美しさを保っているんですね。

こちらが、楽々園から見た玄宮園です。

 

それでは、隣の玄宮園に行きます。

このような建物などが残っています。

昔は料亭として使われていたようです。

景色が良かったでしょうね。

 

そして、こちらからも彦根城が見えます。

肉眼ですと、もっと彦根城が大きく見えます。

 

ということでやっと彦根城を回りきりました。

広かった。

 

番外編 他にもここに寄りました。

 

そういえば、ちらっと寄ったところがあります。

 

まずは、歴史的に有名な

姉川古戦場

この看板がなければわからない。

道の先はこんな感じで何にもありません。

しかし、姉川古戦場に来たということが

大切ですからね。

 

そして、100名城ではないので

外からの写真だけの

長浜城

豊臣秀吉の出世城として有名だそうです。

 

「豊臣秀吉の出世城」としても知られる長浜城(ながはまじょう)。小谷城の浅井長政を滅ぼした功により湖北三郡を拝領した秀吉は、本拠を小谷から琵琶湖沿岸の今浜に移し、織田信長から「長」の字を賜り長浜と改名した。この地は元々、室町期初期の「婆佐羅(ばさら)大名」京極道誉(どうよ)が出城を置いたところで、今浜氏、上坂氏などが守将を務めた。秀吉の後は、清洲会議で柴田勝家の甥、勝豊が入城するが秀吉に攻められ降伏する。その後は、山内一豊、内藤信成・信正父子が城主となる。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、その役目を終えた。石垣や建物の一部は彦根城や城下の長浜別院・大通寺、知善院などに移されたと伝わる。

お城めぐりFAN

 

だそうです。

しかし、100名城でなければ

写真も雑ですみません。

昼間はもっとすごいお城だと思います。

 

ということで、

滋賀県の旅行が終わりました。

まだ、安土城とか残っているので

第一弾が終わったという感じですかね。

 

次回は、佐賀県のお城です。