川越はぶらぶらするにはいいところです。

川越城 11城目

 

川越城ってどこにあるのよ

 

これは2013年10月の話です。

 

やってきました川越城

ってどこにあるのでしょうか?

小江戸と言われる川越の町は

歩いたことがありますが

城なんてありましたか?

 

そしたら、今は

本丸御殿と富士見櫓台跡、家老詰所

があるくらいです。

 

川越城とは

 

江戸の「大手門」は小田原城

「搦手」は川越城

と言われるくらい

江戸にとっては重要な城で

江戸時代は代々

徳川家の譜代大名が城主となったそうです。

 

本丸御殿は、1848年(嘉永元年)、松平斉典の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつ。

Wikipedia

当時は16棟、1025坪の規模をもっていた。明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっているが、本丸御殿大広間は川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見ても貴重な遺構である。

だそうです。

すごいですね1000坪以上あったとは。

本当に今残っているのは

ほんの一部なんですね。

 

見どころはコレだけです。

 

そしてそのみどころがこれ

確かにすごいですよね。

しかし、これで終了です。

中はみた気がします。

 

小江戸をぶらつく

 

その後はもちろん

川越をぶらぶらしましたよ。

本当に街並みを

残してくれているのはありがたいですよね。

美観を整えるってことも

しているそうです。

 

まあ、ここで食べ歩いて

帰ってきました。

 

いやほんとこれしか写真が無いんです。

そして、ぶらぶらしているほうが

時間が長かったです。

 

鉢形城は学術的に価値が高いところらしいです

鉢形城 5城目

 

見どころは探すものです

 

この旅行は2012年5月に行ったときの話です。

 

日帰りで来れる鉢形城に来ました。

そして見どころはこれです。

はい。これで終了です。

確かに他にも建物ありましたよ。

でも、これが一番です。

 

地図を見ましょう。

大きいんですよ。

敷地は。

しかし、建物は復元してくれた

この門と、庭園跡と土塁です。

 

公園としてはとてもいいです。

犬の散歩にはとってもいいですね。

 

鉢形城とは

 

鉢形城のことは

Wikipedia先生にききましょう。

 

鉢形城は、深沢川荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。

搦手、本丸、二ノ丸、三ノ丸および諏訪曲輪には塹壕をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。

Wikipedia

はい。でました連郭式。

これの一番右側の形ですね。

行ったときに気づきませんでしたが

断崖絶壁のところに建っていたんですね。

 

頑強なお城だったらしいです

 

初めて築城したのは関東管領山内上杉氏家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐信濃からの侵攻による最前線として重要な役割を担っていた。その後、下野国遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。

Wikipedia

だそうで、築城の歴史関係はちょっとよくわかりません。

稀に見る頑強な要害だったとされ、武田信玄上杉謙信前田利家上杉景勝らの数度の攻撃に耐え、小田原征伐では3万とも5万とも言われる北国軍に包囲されて1ヶ月に渡って籠城したのちに「開城」という形になった

Wikipedia

この小田原征伐では

鉢形城は前田利家上杉景勝真田昌幸徳川家康麾下の浅野長政本多忠勝島田利正鳥居元忠 らの連合軍 (35000) に包囲され

Wikipedia

あとあります。

有名な人たちがここを攻めたんですね。

後から知って感動。

しかも、このメンバーに対して

1か月も籠城できるとは。

すごい城だったようです。

 

知らなかった・・・

 

春に行くのがおすすめ

 

歴史は凄いけれど

見どころはそんなにない

鉢形城ですが

春には桜が綺麗だそうです。

 

私は5月に行っているので

桜すら見れませんでしたが。

「エドヒガン」という種類だそうです。

彼岸の頃に満開となるらしいので

その時期に行ってみるといいかもしれません。