姫路城の天守閣めぐりは大変です。

姫路城 1城目

 

姫路城の天守閣はほんとに広い

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

天守閣巡りはまだまだ続きます。

こんな太い梁を眺めながら歩きます。

 

大柱の説明がありました。

2本の大柱は全長24.6mあるそうです。

しかも、昭和の大修理で補修しているとのことで

この東の大柱は通し柱だそうです。

すごいですね。

 

西大柱は痛みが激しいので交換することになったのですが

その木材を見つけるのに1年かかったとのこと。

下部は樹齢約780年もの

上部は笠形神社の御神木で樹齢約670年のものを

以前と同じように3階部分でつなぎ合わせているそうです。

御神木まで使うとは・・・

それほどに巨木がなかったのでしょう。

これがつなぎ目ですかね。

 

こういう屋根裏が無駄なく使用されていたんですね。

この木の戸が内室です。

 

そして、ここから

鯱が近くで見れます。

やはり、城と言ったら鯱ですよね。

 

そして、神様も祀られています。

 

ここは最上階。

天守はやっと見終わりました。

 

天守閣からみた城内です。

 

小天守との組み合わせが美しい

 

と思ったら、まだまだでした。

小天守を見て回ります。

 

こんな構造が見られるのも

姫路城ならではです。

大天守に三つの小天守が囲んでいるそうです。

 

そして、これが渡り櫓かな・・・

 

乾小天守とつづきます。 

こんなに大天守が近くに見え

これがお勧めの櫓群のようです。

面白いですよね。姫路城でしか見られない。

 

天守を見終わったからといって終わったわけではない

 

天守を見終わりまして

水三門に来ました。

可愛らしい門です。

 

これがイの渡櫓

 

こちらがほの門です。

小さいけど、頑丈そうですね。

 

天守群です。外から眺めてもすてきですね。

ちゃんと説明がありますので

それを見ながら確認します。

大天守、乾、西の3番目まではいいんです。

そのあとが、ん?どこだ?あれか?それで?・・・

みたいになり、全部を確認するのを断念します。

 

まだ見どころがあって帰れない・・・

 

これがにの門です。

独特な作りをしていますよね。

 

そして、これがはの門です。

ここを行きに通っていれば

もっと速く天守に着いたのに。

 

櫓もいっぱいあるのを忘れてはいけない

 

それから西の丸に行き

百閒廊下です。

蓋してありますが、隙間から石を落とせるようになっています。

 

そして、これは珍しい作りです。

穴が開いているので、そこから水がパイプに流れるのでしょうか。

 

そして、来ました。

長い廊下。百閒廊下です。

こんな風になっています。

 

そして、女性のことを考えた作りです。

うん。ごつい。

 

奥女中がいて、長局といところに住んでいたようです。

長局とは長屋のことだそうです。

渡櫓が長局になっていたんですね。

 

千姫と化粧櫓

 

そして、化粧櫓が見えます。

これが外から見た化粧櫓です。

 

千姫とは徳川秀忠の娘だそうです。

豊臣秀頼に嫁いで、大阪が落城した際に追い出されています。

その後、本多忠則に嫁いだそうです。

しかし、幸せな結婚生活も長くは続かなかったようですね。

こちらは千姫年表です。

年表という文字になぜか拒否感を感じて

全く見る気がしないのはなぜでしょうか。

 

こんな感じなようです。

 

千姫、すごいですね。

7歳で嫁いでいます。

こんな感じで楽しんでいたのでしょうか。

 

化粧櫓からの多聞櫓です。

 

やっと終わりが見えてきました

 

そうして、無事に見回り

菱の門にきました。

内側からだとこんな感じです。

そして、名前の由来になった菱の紋です。

戸が閉まっていても、かっこいいですね。

 

体力に余裕があったら見に行こう

 

そして、こんなところもありました。

天守の庭です。

昭和の天守解体修理のときに掘りだした大天守の礎石が平面展示されています。1601年(慶長6年)~1609年(慶長14年)の築城以来、総重量6,000トンと言われる天守の総重量を支えてきた地盤は徐々に沈下し、礎石は高低差を生じて東南方向に44cm傾斜していました。

そこで昭和の解体修理時に天守基礎にはコンクリートの地盤を埋め、そこに柱を立てることにしたため従来の礎石はすべて取り除かれました。

そこでそれらの礎石をもとの配置で再現したのがこの「天守の庭」です。

姫路城完全観光案内所

 

これであの天守を支えていたんですからね。

すごいですよね。

 

そして、交換した西大柱です。

これが支えていたわけですね。

 

帰りたい気持ちが先走り、石垣はチラ見です

 

後は、石垣をちらっと見て終わりです。

ちらっ。

ちらっ。

 

そして、門をくぐり

桜門橋で終了です。

長かったー。

 

今の大手門は江戸時代と全く異なっているそうです。

なんだか残念です。

 

ということで、長かった姫路城がやっと終わりました。

いやー、写真が多い。

しかし、また行きたいですね。

きれいになった姫路城を町から眺めるのもよさそうです。

 

しかし、体力がない人は休み休み見ましょ。

そして、寒い時期に行く人は

天守閣では靴を脱ぐので、

その上からもう一枚靴下履くなり

スリッパ持参するなりするといいです。

 

足元から冷えますから。

寒くて見るどころじゃなくなりますからね。

 

 

姫路城ってこんなに見どころいっぱいだったけ?

姫路城 1城目

 

ここは最高に見どころがある城

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

最近は城跡などが多く忘れておりました。

国宝にもなるとこんなに見どころがあるのかと。

しかも世界遺産ですからね。

いろいろあり過ぎて、ある意味疲れます。

 

もう、丁寧な説明とか

私には無理なので

サクサク紹介していきます。

 

ざっと城を見ていきます

 

はい。もうなに門なのかわからない。

しかし、立派な門がでてきます。

 

備前門だったようです。

 

それから井郭櫓

名前が載っているとわかりやすいですね。

 

こんな感じの井戸があります。

 

そして、旧番所です。

上の窓も珍しいそうです。

 

天守のかなり近くまできましたよ

 

見てください。やっとこんな近くまで来ました。

しかし、まだまだ入りません。

もう、天守に行きたい・・・

 

そしたら、こんな門がでてきました。

どこの門よ?と思っていたら

搦手門でした。

中世の置塩城の大手門を移築しているそうです。

そりゃ、りっぱなわけだ。

 

反対側から見るとこんな感じです。

 

お待たせしました。やっと天守閣にはいります

 

はい。来ました。

やっと入ります。

  

はい。どーん。天守閣

ここまでが遠かった。

やっと入れますよ。

 

まずは案内図を見ましょう。

ん?

地下1階の6階建て?

これを周るの?広くない?

 

広すぎる天守閣。まだまだ歩かないといけません。

 

広いだけじゃありませんよ。

更に見るところいっぱいです。

こんな釘隠しや

流しの構造の説明もあります。

 

当時の私は疲れた体に鞭打って

一生懸命頭を働かせたのでしょうが、無理でした。

この写真見てもなーんにも思い出しません。

 

この後は私も新鮮な気持ちで説明を読んでいきます。

 

すごいですね。

籠城も考えて作られていたんですね。

姫路城酒井家の家系図です。

この手は全く興味がないので、興味がある人はどうぞ。

酒井家ってすごいんですね。

藩主を最も長くつとめた大名だそうです。

 

そして、厠です。

現存の城では唯一の厠だそうです。

このトイレもこんなに注目されることになるとは

思ってもみなかったことでしょう。

 

この柱も大きいです。

 

梁がすごいですね。太い。

 

戦に備えた設備

 

武具かけもありました。

こんな感じでかけられていたそうです。

 

戦に備えた設備がいたるところで見られます。

 

狭間、石打棚はこのように使われるようです。

 

そして武者隠し

こんな感じです。

 

ということで、やっと天守閣はいりました。

まだまだ、天守は続きます。

 

姫路城はなかなか天守にたどり着かない

姫路城 1城目

 

坂道が多い姫路城

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

天守までグルグル回るように向かうのが

有名な姫路城ですが

天守にたどり着くまで坂道

緩い坂道がずーーっと続きます。

 

そんな感じで歩いていると

ぬの門に来ました。

 

ぬの門は重厚でカッコイイ

 

城内で唯一の三層の櫓門で、扉は木部をすべて黒鉄張りにし、太鼓鋲で止めた頑丈な門です。

上部には隠し石落としがあり、門に入る者を監視し撃つことが出来るようになっており、備前丸へ向かう重要な門であることが伺えます。

上の写真より

 

ということでかなり重要な門だそうです。

人が写っていると門の大きさがわかりますよね。

かなり大きいです。

 

この門を通って御殿に行く道を下道というそうです。

はの門からにの門からほの門から天守への道を上道というそうです。

 

地図で見るとこんな感じです

 

〇がぬの門で、今いるところです。

これが上道

 

 

こちらが下道です。

 

そう。そして私たちが選んだのは

下道。遠回りの道です。

上道行けばもっとサクッと天守に着きますよ。

 

振り返って全体像を見てほしい

 

門の全体はこんな感じです。

 

門の左側部分です。

  

ぬの門を通って歩いて行くと

こんな感じの壁が見れます。

 

狭間です。なんだか可愛らしいですよね。

 

天守がこんなに近くに見えているのに

まだ着きません。

 

あの有名な一枚足りない~っていう井戸です

 

一枚~二枚~と数えることで有名なお菊さん。

しかし、ちょっと説明が良くわからないのですが

なんで、町坪弾四郎は恋暮していたのに?

何度読んでも町坪弾四郎の気持ちがわかりません。

 

そんなもやもやを抱きながら

門を通ります。

こんどは小さい門ですね。

 

そしてまた狭間です。

なんだか狭間の写真が多い。

ここの狭間は四角だけですけれども

高さがいろいろですね。

 

はい。そして帯の櫓があります。

こんな感じです。

 

そして腹切丸です。

実際は腹切されたことは無いとのこと。

 

そして石棺です。

古墳の石棺を石垣に使用しているそうです。

こんな感じで使われているのですね。

石も集めるのって大変なんですね。

  

この石棺の写真で思い出しました。

ここに来た時点で私はもう疲れていたということを。

そう、坂道だし、見るとこたくさんあるので

途中でもうぐったりでした。

 

次回もまだまだ天守にはたどり着きませんよ。

 

城巡りを始めるには有名な姫路城から

姫路城 1城目

 

初めては姫路城

 

 

やっと書けます。1城目

これが始まりでした。

 

もう、10年以上前。

懐かしいです。

 

この時はこんなに城巡りに付き合うとは

思ってもいませんでしたし

こんなに大変なんだとも

思ってもいませんでした。

 

夫の戦略

 

城に興味がない。ということで

初心者でも楽しめる城を選んでくれたらしい。

この最初が失敗すると

もう行かない。ってことになりますからね。

夫としては必至ですよ。

 

姫路城は誰もが知っているお城ですし

大きいので見どころありますし

町中にあるので、町から見えるのもいいですよね。

 

ただ、あまりの大きさに

かなり歩きますので、体力ない人は要注意ですよ。

 

広さをみてみよう

 

はい。こんなに広いんです。

そして、こんなに複雑なんです。

広い上に、うねうねと歩かなくてはいけない。

しかも、天守ものぼりますからね

 

きれいに整備された城は

いろいろ見て歩けるので

とてもいいです。

 

しかし、知識が無い私は

すぐに飽きてしまうんですけれども。

 

それでも飽きさせないそれが姫路

 

まずは入ったらこんな感じです。

いいですよね。

城に来ました。って感じです。

 

別名、白鷺城と言われる白いお城。

この時はまだ塗りなおす前なので

そんなに白くありません。

今は真っ白だそうなので、もう一度見に行きたいですな。

 

天守に着くまでが大変な姫路城

まずはこんな感じの門をくぐります。

菱の門です。

ここもいい感じです。

 

案内図を見るとぐるっと回るのがわかるでしょうか。

そして、門が多い。

 

姫路城とはどんな城?

 

姫路城は播磨国飾磨郡[注釈 1]の現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な遺構である。

江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つで、中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に、それぞれ指定されている。

1993年平成5年)12月にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された[14]。この他、「国宝五城」[注釈 2]や「三名城」、「三大平山城・三大連立式平山城」の一つにも数えられている。

Wikipedia

 

これを読んだだけでも、

すごいお城なんだろうなって感じがしますよね。

 

明治時代はどうだったのか?

 

明治時代初期に陸軍省の管理下に入ったが、まもなく民間に払い下げとなり、競売で神戸清一郎が23円50銭で落札したが、その後権利が放棄されたらしく国有に戻っている

Wikipedia

 

だそうで、それから修復を行っています。

 

陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって大小天守群・櫓群などを名古屋城とともに保存する処置が取られ、その後また腐朽が進むと市民の間から両院に修復工事の陳情が行われ、議会の決議により国費9万円をもっての「明治の大修理」が行われた

Wikipedia

 

そう。こういうお城って、修理しようとか

保存するためにって働きかける人がでてくるんですよね。

そうしないと、今は無いわけですからね。

 

今、公開されているのは市民のおかげ?

 

この大修理を機に市民の間から陸軍省から姫路市への払い下げと城を公開にすることを求める声が強まり、姫路市会の決議を経て1914年(大正3年)に軍用地を除き姫路市への無償払い下げが決定し、公開されることなった

Wikipedia

 

この兵庫の人がすごいのか、かなり国に要請してますね。

このころから姫路城は市民に愛されていたのでしょうか。

 

太平洋戦争中には姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残している。

Wikipedia

 

しかも、これがすごいですよね。

不発弾になったという幸運。

 

そういう風に見ると

更にこの城が現存していることが

有難く感じます。

 

あ、行ったときは知らなかったので

そんな風には思っていませんでしたけど。

 

狭間という言葉は姫路城で知りました

 

このような感じで城を眺めながら

歩いて行きます。

 

菱の門をくぐり

 

門をくぐり

 

はい。狭間がでてきました。

 

姫路城と言えば「狭間」ですよね。

いろいろな所に「狭間」があります。

狭間から覗くとこんな感じです。

 

そして、また門をくぐります。

もう、なに門かはわかりません。

 

そうすると石垣が見えてきます。

さすが姫路城。

石垣の説明も丁寧にしてくれます。

扇の勾配の説明です。

姫路城では、天守台をはじめ主要な櫓台や高い石垣は「扇の勾配」の積み方をしています。この勾配の特色は、石垣の傾斜面を内側に扇を開いた形に湾曲させているもので、こうした傾斜をつけることによって石垣を高く積むことができます。

もちろん、石を高く積むだけではなく、石垣の内側に含む水や土の圧力で、くずれやすくなるのを防ぐねらいもありました。このことは、攻め手がよじ登るのを防ぎ一石二鳥の効果をもっています。

上の写真より

 

という、石垣です。

野面積みの角は算木積みです。

 

このころは、野面積みとか知らなかったですし

まったく興味がなかったなあ。

きれいな石垣ですよね。

 

ということで、次回はたぶん

まだまだ外側の紹介で終わりそうなぐらい

見どころいっぱいな姫路城。

こうやって振り返ってみると

やはり特殊な作りのお城です。