
山中城 6城目
障子堀ってなんだろう
これは2012年5月に行ったときの話です。
今回も日帰りです。
山中城に来ました。
どこ?って言われること
確実の山中城
しかし、私結構好きなお城です。
この障子堀がすごいんです。
ただ堀を障子のように
区切っているんだけなんですけど
それを再現されています。
これが綺麗なんです。


こんな感じです。
はい。これで見どころ終わりです。
大きな公園になっていますので
お散歩を探してください。
この時は犬が2匹いましたので
いい散歩道でした。
人も少ないので
気軽に歩けましたし
だからか、山中城はいいイメージしかありません。
障子堀とは
中世城郭の薬研堀の底は、
完成したては鋭くとがっていて、
敵兵がひとたび堀に転落すると、
狭くて自由がきかず、
堀底をあることもままらなかった。
それが広い箱堀で、
しかも空堀(水が入っていない堀)ともなると
敵兵は堀底を自由に走り回れるので
城内から中々狙い撃ちができない。
そこで、箱堀の底に仕切りを造って
細かく堀底を区画してしまえばいいのである。
田畑の畔のような幅の狭い土手を造って
堀底を細かく仕切る。
この仕切りの土手を堀障子といい
大変威力があった。
城のつくり方図典より
だそうです。
これは空堀だけでなく
水堀の底にもあったそうです。
山中城とは
今回もWikipedia先生に訊いてみました。
山中城とは
北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ[
Wikipedia
だそうです。
三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。
そうなんですよ。
この芝を張っているのが
とってもきれいなんです。
築城方法もわかる城だったんですね。
また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。
だそうです。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。
ということですので
間に合わなかったからでしょうか
半日で落城してしまったそうです。
結局言いたいのは、犬の散歩には最高
見どころが少ないですが
って障子堀はとっても見どころがあるんですが
興味がない人には
見どころが少ない。
広かった山中城
整備もされていて
犬の散歩には本当に良かったです。
城を巡ったというより
いいお散歩の公園見つけたって感じです。
こういうところは
緑の綺麗な季節に行くのがお勧めです。