あの猫で有名な今帰仁城は石垣に形が面白い

今帰仁城 10城目

 

あの動物写真家の岩合光昭さんの番組にもでてました

 

これは2013年6月の話です。

 

やってきました今帰仁城

「岩合光昭の世界ネコ歩き」の番組にも出てきました。

岩合光昭さんの番組は行った後に

見たんですけれども

確かに猫が多かったです。

 

受付のところに猫がいたのが

かわいかったです。

 

今帰仁城は石垣しかありませんがその石垣がおもしろいです

 

そんな今帰仁城ですが

こんな感じです。

こんなに弓なりの形をしているんです。

平郎門

石の感じが中城城と違いますよね。

中城城より荒い感じがします。

 

今帰仁城とは

 

県内最大級の城(グスク)として名高い。複数の城郭により区切られ、本丸的な王邸、城主側近の武士の邸宅跡などが確認できる。

Wikipedia

一番広い城なんですね。

 

14世紀の中国の史書に琉球国山北王「怕尼芝はにじ」「みん」「攀安知はんあんち」の三王が登場します。
この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。
しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。

世界遺産今帰仁城

どのようにわかれていたのか

地図で表してくれています。

世界遺産今帰仁城跡

こんな風に分かれていたようです。

それにしても「グスク」だらけ。

   

そして石垣ばかりなり

 

そしてこんな感じで

石垣が囲んでいます。

石垣好きにはたまらない

崩れた石垣の側面です。

 

という感じでした。

1月中旬から2月にかけて

カンヒザクラが咲くそうです。

猫と石垣とカンヒザクラ

いいかもですね。

 

ということえ、石垣で終わる

沖縄旅行でした。

首里城って意外と階段が多いんですよね。

首里城 9城目

 

首里城は鮮やかできれいです

 

これは2013年6月の話です。

 

やってきました首里城。

守礼門の写真がなく

この写真から始まる感じが

当時の私のやる気の度合いが表れてます。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

確か守礼門は、人が多くてみんなが写真撮っていたので

やめたという、なぞの理由だけは覚えています。

 

歓会門(かんかいもん)

写真の撮り方も雑ですみません。

守礼門撮らないのに

石垣は写真撮っているっていう

謎の美的感覚がありますが

このカーブが良かったようです。

 

瑞泉門(ずいせんもん)

瑞泉門の横の石垣です。

石垣綺麗です。

この石垣の先が出ている

この形が独特ですよね。

面白い。

そして正殿です。

この時は塗りなおししていたんですよね。

これが燃えてしまうとは・・・

 

首里城のつくり

 

日本の他地域の城とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けている。

門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴であるが多用された。

Wikipedia

そうなんですよ。

この中国の影響を受けた城が

違う国だったんだな。と思わせ

とても面白いんです。

 

正殿の前には、家臣らが謁見したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられている。

それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となり行政施設も入っていた奉神門が建てられている。

さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっている。

これらの構造には、中国の紫禁城との類似性も指摘されている。

南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていた。

Wikipedia

確かに紫禁城と似ているといわれれば

そうかもしれない造りになっていますよね。

そして和風の意匠が用いられていたんですね。

まったく覚えていませんが・・・

 

本当はもっと見どころありました

 

暑さでやる気がなかったのでしょうか。

思った以上に首里城の写真がない。

Wikipediaを見ると建物の内部とかも

写真が撮れた模様。

 

しかし、最後にケツメイシのジャケット写真の

ところで写真は撮ってきましたよ。

瑞泉門のもっと入り口近くですが

みんなが撮るからでしょうね。

守衛の方が手慣れた感じで

写真撮ってくれました。

 

ええ。夫の希望で。

私、まったくやる気のない顔してました。

 

美ら海は外せませんよね

 

それから、美ら海水族館行きましたよ。

ジンベイザメ見てきましたよ。

はい。こんなに大きいです。

そして、よく見てください。

多くの人がデジカメ持ってる。

時代ですなぁ。

大きいですよね。

演出もいいんです。

通路などはほの暗くして

水槽を明るくしているので

幻想的に見えます。

この水族館は良かったです。

 

 

ということで、

次回は今帰仁城に行きます。

あの「岩合光昭の世界ネコ歩き」に出てきた

今帰仁城ですよ。

確かに猫多かったんです。

沖縄の城のつくり方は本土とは違う

中城城 8城目

 

知っているようで知らなかった沖縄

 

これは2013年6月の話です。

 

やって来ました沖縄。

やっぱりいいですよね。

海も空も綺麗です。

 

そんな中、

城をめぐって行きます。

 

沖縄の城は

琉球王国のグスク及び関連遺産群』として

世界遺産にも登録されています。

 

沖縄は

1609年慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏、当時王国の支配下にあった奄美群島は薩摩藩に割譲[注 12]、王国は薩摩藩の支配下におかれた(琉球侵攻)。

薩摩による侵攻以降も王国は中国の冊封を受け続け、日本の薩摩藩と清国に『両属』する体制となっていたが鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化と自治を保っていた。

Wikipedia

独特な文化ですが

薩摩藩の支配下に置かれた後も

清国にも属していたんですね。

確か首里城に行ったときに読んだ時に

琉球の人は外交上手なイメージがあります。

小さな国が上手くやっていく

手段だったんでしょうね。

 

その後明治になって

明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を設置

したそうで

明治初期に琉球が日本に編入される一連の過程を琉球処分と言う。

というそうです。

戦後は米軍軍政下となり

返還され、今に至ります。

とWikipedia先生が教えてくれました。

 

中城は「なかぐすく」と読みます

 

沖縄のお城は

石垣のつくり方が違うんです。

形も違います。

 

これはアーチ門です。

 

中城城とは

 

中城城は連郭式山城である。六つので構成されている。

Wikipedia

はい。連郭式

一番右の形ですね。

 

城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、石垣には野面積み(南の郭)、布積み豆腐積み、一の郭、二の郭)、あいかた積み亀甲乱れ積み、北の郭、三の郭、物見台)が見られ、1853年に来島したペリー提督も『要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった』(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えている。

ペリー提督も絶賛の石垣です。

 

いろいろ場所の名前はついているのですが

 

いろいろ場所があるのですが

不確かなのでそんな感じかと

見てもらえれば・・・

 

これはたぶん三の郭

 

こちらは西の郭ですかね。

 

これも西の郭かな?

という感じです。

石垣しかありませんが

アーチ門がいくつかあり

美しい造りをしています。

石垣も綺麗に積まれていますよね。

 

ということで

次回は燃える前の首里城です。