福島県にあるよ二本松城

二本松城 2城目

 

二本松城ってあの戊辰戦争の?ってわかった方は上級者です

 

この旅行は10年以上前に行ったときの話です。

 

ということでやってきました

二本松城

私の中では「どこ?」なのですが

「ほら、あの戊辰戦争の!」

って言われましても、まったくピンときません。

 

歴史はグーグル先生に聞くとして

2城目にしてもう山城

しかも石垣しかない

という、姫路城との落差を感じえません。

 

まあ、国宝と比べてはいけません。

ここには歴史的に重要なことが起こっているのですから

そこを注目していきましょう。

って、私が一番苦手な分野ですが。

 

テンションが上がらないのはしょうがないと思ってください

 

二本松城は別名、霧ヶ城とか霞ヶ城と言われています

ということで回って行きましょう。

 

二本松城といえば少年隊だそうで

銅像もあります。

切ない話です。

 

こちらは私のような者でもわかるように

ちゃんと二本松城跡と書かれています。

こっちのほうが新しそう・・・

 

ということで、門をくぐって行きます。

ここは結構りっぱです。

 

二本松城の歴史

 

室町中期に築城されたそうで

以後、畠山氏歴代の居城として140年あまり続きました。

その後、伊達政宗の攻撃により落城したそうです。

豊臣時代に会津城の支城として、

頂上の本丸やその周辺にも石垣が積まれ

近世の城郭として機能し始めました。

江戸時代初期も会津領としてあったそうですが、

1643年に二本松藩が誕生し、丹羽氏の居城として

220年余り続いたそうです。

1868年の戊辰戦争の際に、城内、家中屋敷のすべてを焼失し

7月29日に落城しました。

明治から大正末年までは、民間製糸工場として活用をはかられ

その後は公園として開放されました。

 

石垣を堪能しよう

 

ということで、一部は修復、復元をされているみたいです。

では、全体図を見てみましょう。

見どころは9つですでに、2つは見ています。

あと、7つね。

 

箕輪門です。

天気が良すぎて看板が見にくい。

江戸初期城主、丹羽光重が建てた門を再建したそうです。

昭和57年ですから、もう40年。

いや、10年ほど前に行っているからその時は30年経っている

門なんですね。

すてきですね。

裏から見るとこんな感じです。

これで3つ目終わりました。

 

石垣を曲がって行きます。

これが傘松?

 

井戸も残っていますよ

 

今でも湧き水を溜めているそうです。

本当に日陰にあるわあ。

って由来はそうじゃないんですけど。

 

さっきのが傘松であれば4つ目5つ目と見終わりました。

 

そして、来ましたよ。

本丸の石垣。

 

タイルに描かれた説明を見てみよう

 

何やら、石垣の修復の説明などがかかれているようです。

詳しく見たい方のために

細かい写真貼っておきます。

この下の絵、臨場感あっていいですよね。

こういう、発掘調査って大変なんでしょうね。

 

天守に登登りましたよ

 

そんな大変だったであろう調査のおかげで復元した

本丸です。

ざ。何にもない。

空がきれいだなー。

 

当時の石垣があったり・・・

こんな感じの広さだったり・・・

あとは、石垣見るぐらいです。

 

みんな大好き?石垣です

 

ここからは石垣ばかりです。

石垣に詳しくなるチャンスです。

 

はー。旧石垣の前面に今の石垣を築いたんですね。

 

この石垣の中に旧石垣が埋まっているんですね。

 

そして、天守台西面の石垣の説明が難しい。

使われた石は野面石です。加工していない石ですね。

一部に荒削りの石が使われているようです。

積み方は「穴太積」です。

大小の石材を横積みにし、数石しか横目地の通らない

いわゆる「布積み崩し」の積み方だそうです。

 

布積みはこんな感じです。

江戸城

こういう風に横の目地が通っています。

これが布積みです。

 

石垣の説明はまだまだ続きます。

 

石垣に飽きましたか?

はい。私も。

もう少しあるのでお付き合いください。

 

これは旧石垣が残っているところですね。

 

はい。で、犬走があったんですね。

すみません。この写真じゃわかりづらい。

上段と下段の間に犬走があったとあるので

このツタが生えている石垣の上が犬走かと思われます。

 

搦手門に来ました。

礎石は当時のままなんですね。

約1.4mの扉が付く高麗門である可能性が高いようです。

真ん中あたりに左右礎石があるのがお分かりになりますでしょうか?

これが礎石です。

 

高麗門とはこのような門です。

Wikipedia江戸城高麗門

こんな感じの門が建っていたんですね。

 

今はこんなですが。

 

ということで、二本松城でした。

というか、2城目でこんな石垣ばかりの

説明ばかりは当時の私も辛かったことでしょう。

編集していて、まったく覚えていない自分にびっくりです。

そんなもんです。

 

見どころの

智恵子抄の詩碑とか

洗心亭とか

少年隊のなんとか碑とか

見ていない気もしますが

良しとします。